『里山資本主義』を読んで、地方の活かし方を考えてみた

久しぶりのブログ更新です。最近は、読みたい本が多すぎて大変です。インプットが多くなってしまうと、その場では「面白い!」「やってみたい!」という気持ちになります。

しかし、その気持ちや思考は次の本を読み終わる時には、完全に消えてしまっています。

その場の快楽を求めることで、私の場合は全く蓄積されていないことに気づきました。ただ、友達や職場の同僚に本の内容を話すことで、多少は内容は入っています。

こうしてブログに本の引用と自分の思考をアウトプットすることの大切さを改めて感じている次第です。

そこで、今回は読み終わった本たちを再読しまとめることを重点的にやっていきたいと思います。その中で自分のやりたいことをまとめていきます。

今回紹介する本は、『里山資本主義』です。この本は、「ゆっくり、いそぐ読書会」という私が参加している読書会の課題図書になった本です。

「ゆっくり、いそぐ読書会」については、また別の記事で書いていきますね。最近は、読書会の課題図書周りの本を毎日読んでいます。

さて、本日は『里山資本主義』です。里山資本主義とはなんぞや❓というところから進めていきます。一つ分かりやすい視点を書くとすれば、里山資本主義の対義語は、「マネー資本主義」だそうです。

「マネー資本主義」とは、お金が一番大切なもの、全てはお金だー!という考えです。シンプルにし過ぎましたかね。一方で、「里山資本主義」とは何か。

こちらは、分かりやすい部分を以下に引用します。

里山資本主義は、経済的な意味合いでも、「地域」が復権しようとする時代の象徴と言ってもいい。大都市につながれ、吸い取られる対象としての「地域」と決別し、地域内で完結できるものは完結させようという運動が、里山資本主義なのである。

ここで注意すべきなのは、自己完結型の経済だからといって、排他的になることはない点だ。むしろ、「開かれた地域主義」こそ、里山資本主義なのである。

『里山資本主義』より

私の解釈だと、「里山資本主義」は地方で経済を回す循環型の資本主義のことだと思いました。ただ、「排他的ではない」というところに私は魅力を感じています。

私のイメージだと、地方は排他的なイメージがあります。妻の実家は滋賀県なのですが、地域の集まりがまだあるような世界です。地元の人からしたらそのつながりが非常に大切なこともわかります。

しかし、私みたいな余所者が行くとあまりいい顔はされないのではないかと思ってしまいます。本書の例は、誰でもウェルカム的な感じですが、全ての地方がそうではないと思ってしまいます。

次に、本書の例に挙げられている地方の「里山資本主義」を引用し、私の考えを述べていきます。

岡山県真庭市や広島県庄原市、周防大島の実践

真庭市は、二〇〇五年に周囲の九つの町村が合併してできた、岡山県内でも屈指の広さを持つ。しかし、人口は五万に過ぎず、その面積の八割を山林を占めるという、典型的な山村地域だ。

『里山資本主義』より

岡山県真庭市では、林業から出る木屑をペレットというものに変えて、そこからエネルギーを自給しているそうです。

広島県庄原市では、「エコストーブ」という簡易的なストーブを目玉にしてエネルギーを自給しているそうです。

この2つの実践とは違い、周防大島では島に起業家のような方々が集まって島を活性化させているようです。

これらの実践を読んでわかったことは、「そこでしかできないことを工夫してやっている」ということです。例えば、岡山県真庭市では林業を得意とする会社があるからこそそこで出る木屑を活用できるのです。

山村地域なんて、同じ中国地方でも山ほどあるはずです。ですが、真庭市のように林業が盛んでないと同じことはできないということです。

だからこそ、地方はこうすれば「里山資本主義」を達成できるという一般化のようなことはできないということです。

その地方の強みを活かして地域内で循環できる方法を探す。その方法を考えることが「里山資本主義」への唯一の道なのではないかと考えました。

結局「里山資本主義」は可能なのか❓

最後に、「里山資本主義」はできそうな気がします。しかし、それだけでは、今のマネー資本主義社会では生きていけない。そう考えます。やはり、この2つのバランスをとっていくことが非常に大切なのではないかと。

その視点がかかれている文章を以下に引用します。

「矛盾する二つの原理をかち合わせ、止揚(アウフヘーベン)することで、一次元高い段階に到達できる」という考え方を弁証法という。(中略)そこに属するオーストリアで、マネー資本主義的な経済成長と同時に、里山資本主義的な自然エネルギーの利用が追求されていることは、むべなるかなと言える。対して日本人は、内田樹のいうところの「辺境民」であるせいなのか、海外から輸入された単一の原理にかぶれやすい。

『里山資本主義』より

弁証法、この考え方は非常に納得できました。2つの矛盾した考えの間で葛藤することで成長することは、自分の人生の中で確かにありました。

この考えを弁証法というのですね。実はこの弁証法、この後に読んだ資本主義の本にも同じことが書いているのです。そのシンクロ具合に感動したので、次にブログに書くときに熱量を持ってお伝えします笑

引用にもあるとおり、日本はあまり葛藤せずに単一の価値観で進んできた歴史があるそうです。私が尊敬している内田樹さんが言っているので間違い無いです笑

そんな中で、本書にはありませんが私が面白いなあと思った実践があります。

新潟県山古志村の村おこしです。人口800人ほどの限界集落である山古志村ですが、最近話題のNFTアートを取り入れているようです。以下のリンクをご覧ください。

https://www.businessinsider.jp/post-251703

私もこれを見てNFTアートを買うために、暗号資産のイーサリアムを購入しました笑

ただ、今は村民募集はしていないそうで残念。

山古志村の昔ながらの良さである「錦鯉」と、今のマネー資本主義の権化とも言える仮想通貨・NFTアートの融合。

これこそまさに2つの価値観がアウフヘーベンした姿なのではないでしょうか。今後の山古志村の動向が非常に気になります。

暗号資産を購入してから、NFTアート、web3、DAO、メタバースなどデジタル界隈の本も今度読んでブログに書きます。

地方創生✖️デジタルは一つの方策だと思いました。結局は里山資本主義はマネー資本主義とのバランスが大切なのではないかと考えました。

以上が、『里山資本主義』を読んで、地方の活かし方を考えてみたでした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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