前回『里山資本主義』を読んで、「里山資本主義」と「マネー資本主義」のバランスをいかにとっていくかということを考えました。
このブログを書く数日前、ちょうどテレビに空き家のビルを使って「ビル産ビル消」をやっているというニュースを見ました。以下のサイトから実践がみられます。
コロナ禍で空き家が増えたことで、都市部でも循環型のシステムが見られるようになってきました。これは、一つのチャンスなのではないかと思います。里山じゃなくても「里山資本主義」が実行できるとのことです。
そこで、今回は『進化する里山資本主義』を読んで、地方に行かなくてもできる「里山資本主義」の実践について考えていきます。参考になれば幸いです。
まずは今一度本書から「里山資本主義」とは何か、定義を引用してみます。
筆者が現在考えている里山資本主義とは、農山漁村に限らず都会でもどこでも実現できる、”里山”的な資本主義のことだ。「多様なものが共生し、循環再生が健全になされているような社会」を支える経済思想である。「ヒト・モノ・カネ・情報が、使い潰されず、淀まずに、循環し再生され、次世代に続いていく社会」を目指す主義、と言い換えても良い。
『進化する里山資本主義』より
キーワードは、多様性と循環といったところでしょうか。この視点から本書を考えていきます。今回は、「里山資本主義」を実現するための3つのアイデアを以下にまとめます。
1人が集まるカフェ
1つ目のアイデアはカフェです。地域にカフェがあることで、「里山資本主義」を円滑に進めることができると著者は述べています。本書の該当部分を以下に引用します。
今、「いい地域にはいいカフェがある」と全国的にも言われている。周防大島にもたくさんのカフェがある。では、なぜカフェが重要なのか。
まず産業として考えたとき、地域にあるものを利用する。これがまず強みになるというのが「里山資本主義」的な考え方だ。
そしてもちろん産業だけでなく、人が集まる場としてのカフェが重要だ。(中略)人や情報が集まり、それが集まっているカフェこそが文化を持った「いいカフェ」であろう。
『進化する里山資本主義』より
私は、将来カフェをやろうと思っているので、「里山資本主義」に少しでも貢献することができると思うと非常に嬉しいです。引用にも書いていあるようにポイントは2つです。
一つは、地元のものを生かすという視点です。私は、野菜を育てることもとても好きなので、野菜を植えつつ、その場で取れたものを生かしてカフェの経営をしていきたいなと考えております。
もう一つは、カフェが地域の人や情報が集まる場になるということです。カフェに情報が集まることで、都会から来た人にもその地方のいい情報が出回ることになります。
情報が回っていくと、都会と地方の壁のようなものが少しは無くなるのではないかと思います。やはり、地方移住や地方で副業となるとかなりハードルが高くなることが考えられます。
もちろん今はネットなどデジタル上のやりとりで、地方に行くことのハードルがかなり下がっています。ただ、大切なのはやはり地元にいる人たちとのオフラインの関わりではないでしょうか。
特に、カフェがその場としてふさわしいのではないかと考えました。そんなカフェを目指していきたいと思います。
2地方創生に必要なこと
著者は、地方創生をやり遂げるためには、大きく必要なことが3つあると述べています。その部分を以下に引用します。
ここまで紹介してきたさまざまな地域のあり方を踏まえると、地方創生の取り組むに要点が少し見えてきたのではないでしょうか。それは、「危機感に裏打ちされているか」「地域で『自分ごと化』されているか」「関係者との連携が取れているか」と、まとめられます。キーワード化すると、「危機感」「自分ごと化」「官民連携」です。
『進化する里山資本主義』より
まずは、危機感を持つことが大切だと。このままだと本当にまずい!だから何とかしなくては!その思いがあるから「自分ごと化」できるし、「関係者の連携を取ろうとする」。
地方では、人口が減っていき過疎化した時に、町や村として機能しなくなるのではないか。そんな不安があるだろうなと考えられます。そこから、自分の町や村の特色を考えたり強みを生かしていこうと考えていくわけですね。
だから、人口減で困っている地方の方がより地方創生が成功しやすいのではないかと考えます。東京の郊外レベルだと、人口もそんなに減らないし、別に変えようとしなくてもいいのではないかと思ってしまいます。
そこが、ある程度整っている地方を創成することの難しさではないかと考えています。
3「里山資本主義」✖️「教育」
最後は、教育の視点です。私の仕事柄、教育を「里山資本主義」につなげていくにはどうすれば良いかを考えました。本書の該当部分について以下に引用します。
試験の点数を至上とするする教育は、無知の知も損ないますが、御立さんのおっしゃっている身体性も無視しています。自然を相手にしていると、教科書通りに物事は運ばず、物質まみれの現実にリベンジされます。自分の身体の限界にも気づきます。他方で、言語を超えた感情の盛り上がりといったことも体験できる。文字にできる範囲の浅知恵では物事はまわっていないということを、身体で経験している人ほど賢くなるのでしょう。
『進化する里山資本主義』より
これは、私が最近考えているテーマともつながります。「教科教育の詰め込み授業」と「体験活動を主とした授業」のバランス。これまでの学習指導要領改訂の際も大きな議論となっている部分です。
私の考えでは、今後は「体験活動を主とした授業」の割合が段々と増えるべきだと思っています。確かに、基本的な読み書き計算のスキルは大切だと考えます。
ただ今後のことを考えると、やはり子どもが自分から問題意識を持ち、自分ごとして捉え適切に学校以外の組織と連携していく。
まさに、地方創生と同じプロセスですね。今書いていて気づきました。「地方創生」と「教育の未来」の解決策は根本的なところは同じなのかもしれません。
環境問題などと結びつけることで、問題意識は持てるのではないかと思います。
今後は、教科書での教科学習は進めながらも、子ども自身が危機感を持ち、自分ごと化できるような授業スタイルを提案し実践していきます。また、経過についてもブログに書いていきます。
以上が、『進化する里山資本主義』を読んで、地方の可能性を考えたになります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。