『種の起源』の上巻と読書会で学んだこと

先ほど、「ゆっくり、いそぐ」読書会のダーウィンの会が終わりました。読書会の中では、「多様性」とどう向き合っていくかということが主なテーマでした。

「多様性」は言葉自体はとても良いものだけども本当にいいものなのか、ということについてかなり深く議論されていて勉強になりました。

ただ、種の起源の本の中身についてももう少し議論を深められるとよかったかなと思うこともあります。なので、もしできれば以下の3つの基本的な用語について認識を擦り合わせても面白いのかなと思います。

ただ、かくいう私もまだ上巻しか読んでいない状態なので、下巻を読んでより理解を深めていきます。以下の三つは、ダーウィンの進化論を語る上では最重要キーワードになりますので、まだ読んだことのない方でも参考になると思います。

1選抜

とにかく、こうした「変化」を起こすあらゆる原因よりも、「選抜」という累積的な作用のほうが、たとえそれが緻密な計画にしたがって急速になされたものであれ、無意識のうちに緩やかになされてものであれ、「威力」としてはるかに優勢であると、私は確認している。

『種の起源』より

まずは、選抜という言葉です。私の認識が間違っているかもしれませんが、選抜とは文字通り選ぶことです。動物や植物が環境の中で優位になるために必要なものを選ぶことです。

ただ、自分で選ぶことはできず、人間による選抜である人為選抜か、自然が選抜する自然選抜とがあります。

ダーウィンがいうには、飼育動物の方が野生生物よりも変異が大きく多様性があるとのことです。選抜が起こることにより、進化のきっかけである変異が起こるのだと解釈しました。

2生存闘争

私が言う「生存闘争」という言葉は広い意味での比喩であり、生物どうしの依存関係や、さらに重要な)個体の生存だけでなく子孫の存続までも含んでいるということをあらかじめ断っておきたい。二頭の飢えた肉食獣は獲物を得るために文字通り闘争するという言い方あもあるだろう。しかし、砂漠の緑に生える植物についても、ほんとうのところは水不足に翻弄されているだけにしろ、乾燥を相手に生存のための闘争を演じているという言い方が許される。

『種の起源』より

二つ目は、生存闘争です。さまざまなものに対する、大きな意味での闘争だそうです。闘争があることで、それぞれの種に特有の変異が現れると本書にも書いてありました。

例えば、タンポポの綿毛です。他の植物との闘争によって、風に乗って他の植物がいないところまで風の力で飛んでいける変異を起こしたのではないでしょうか。

3自然淘汰

他の個体よりも有利な変異を備えた個体は、生き延びて同じ性質の子どもを残す可能性が大きいと考えられないだろうか。その一方で、少しでも不利な変異は確実に排除されることもまた、確かなような気がする。このように、有利な変異は保存され、不利な変異は排除される過程を、私は自然淘汰と呼んでいる。

『種の起源』より

そして最後は、自然淘汰です。この自然淘汰が個人的には進化論の中でも重要な考え方だと感じました。ただ、理解するのが難しい概念でもあります。

これらのいわゆるダーウィンの進化論は「ダーウィニズム」として現在では当たり前のような話になっています。ただ、「弱肉強食」という強いものが生き残るという意味で使われていることもあるなと思ったので、「多様性」の視点を私も忘れないようにしていきます。

そして、プラスアルファとして、今回の「ゆっくり、いそぐ」読書会で主催の影山さんがダーウィンの考えをもとに考えた言葉4つの段階を以下に書きます。完全な引用ではないですが、影山さんのお話をもとにまとめてみました。

①多様な人が自然と集まる環境を作る。(抽選で決める)作り方がある。

②一人一人が自分の命を発揮できるような環境を整える。(閉鎖的なところでも作れる)学校では、「こうあるべきという」目標が既に決まっている。リザルトパラダイムが起こっている。(〇〇な人材を育成するに人を当てているシステム)ダーウィンとは真逆の環境設定。上むきの三角形を逆向きの三角形にすると一人一人の創造性が花開いて、変異・適応・進化が起こる。そのシステムデザインの変化を起こしていきたい。

③一つ一つの命のあり方を助成していくようなもの。命に不自然に干渉するのではなく自然に手を添えていくやり方。著書「ガウディの伝言」に、「彫刻の際に石の気持ちを考えてほっていく。石をコントロールしていくと石が割れる。思うように形を掘り出せない。石の気持ちを考えながらほっていく。」という叙述があるそうです。自然の摂理に沿ったものの作り方があると学べる本だそうです。

④いろんな場面で③までのことを実践していく。自分の日々に活かせば革命への道のり。既存のシステムの中で、多様性や一人一人の命を発見するための方法論となる。

この話を聞いいて、私も早速自分の職場で生かしていこうと思いました。学校教育は特に、閉鎖的な環境でガチガチのリザルトパラダイムな環境です。

一斉学習の中に馴染めない児童がいるとそれこそ自然淘汰で滅びるしかない運命になります。今現在私は情緒障害の特別支援学級に在籍をしています。

その中で、子ども一人ひとりの持ち味を活かせるような、授業や環境づくりを提案して教育界に革命を起こしていきたいと考えています。

情緒級は今後も保護者のニーズで増えていくことが予想され、教員はなかなか良い指導法が見つからず、苦しんでいる状況にあります。

そこで、ある程度一般化できる指導法やシステム設計を今年度提案することで、全国の児童の命の持ち味を発揮できのではないかと考えています。

個人的には、情緒の固定級がそもそものシステムエラーな気もしていますが、そこを変えるのは難しいと思いますので、現状の中で何が一番教員と子どもたちにとって良いのかを模索して、提案するところまでいきたいと思います。

もしも、いい案があればこのブログでも書いていきます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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