『はじめに子どもありき』から今後の授業を考える

今回は教育の記事になります。『はじめに子どもありき』という本です。この本を知ったきっかけは東京学芸大学准教授の大村龍太郎さんがYouTubeで紹介しているのを見て読みました。

そのYouTubeも非常に面白いのでぜひ見てください。

特に、47分あたりの「主体的な学び」の部分が重要だと感じています

この本を読んでいて、私が今までモヤモヤと考えていたことがそんなに間違いじゃあなかったんだなと励ましてもらえた気がしました。

この本は、実践というよりかは教師としてどうあるべきか、子どもとどう向き合っていくかという内容が非常にわかりやすく書いてあります。今後何度も読んでいく本だなと感じております。

今回は、私が読んでいて印象に残った部分について3点にまとめ、できれば自分の実践とも繋げて書いてきます。みなさんの参考になれば幸いです。

1能動的な学習者

子どもを受動的な学習者と見れば、教師が子どもに次々と教え、指示し、あるいは子どもを誘導し、子どもは、教師の言うとおりにすることが求められることになる。そしてそのようにすることは、子どもをいっそう受動的にすることになる。一方、子どもを能動的学習者としてみれば、教師は、待つことを基本として子どもがもともと持っている意欲や力を大事にして、それを生かし発展させていけるに支援し、助言することになる。そのことによって子どもはいっそう能動的になる。

『はじめに子どもありき』

これは、子どもをどのように見るかということです。子どもに何かを教えてあげなければいけない、そう思うと子どもは自分で考えずにただ言われたことは正しいという態度になるでしょう。

大人から一方的にルールを提示されても何も違和感なく受け止めることにもなり得ます。最近は一人一台のパソコンが導入されました。そうなると、ルールを決めなくてはいけない!と言って禁止事項を並べたルールブックがすぐにできました。

本当にそれでいいのでしょうか。子どもが主体的に考える隙がなく、大人によって全て決められそれを子どもは疑問にも思わない。

「主体的な学び」を大切にということは多くの場所で聞きますが、一人一台端末の使い方など生活場面でこそ子どもが主体的に考えることが大切なのではないでしょうか。

実際私も去年使っていて、子どもが遊び始めたり良くない書き込みをすることもありました。むしろその時がチャンスで、みんなで考えてよりより使い方を考えていくきっかけになりました。

それ以外にも、クラスのルールも最低限でよくてあとはみんなで気持ちの良いクラスにするためにはどうすればよいかを考えていくことが大切なと考えています。

また、学習場面でも主体的な学びができると考えています。去年やったのは、運動会の時に子どもから「パン食い競争がしたい!」と意見が出ました。

私ははじめはそれは無理だと思ってやめようかとも思いました。しかし、子どもたちがパンを図工の時間に作ったり、おみくじを作って競争ではなく協力する方向で競技内容を考えたりするなど素晴らしいアイデアがたくさん出てきました。

結局子どもたちのアイデアが満載の「パン食い障害物競争」をやることになり、子どもは主体的に活動することができたのではないかと思います。

正直、国語・算数の主体的な学びは私の勉強不足でまだまだうまくはいっていませんが、「子どもが主語」の子ども観は非常に大切だと考えます。

2学ぶ者の論理と学んだ者の論理

私たちが授業を行う時、できるだけ短時間のうちに合理的に学習が進展することを子どもたちに求めがちである。しかし、未知のことを学ぼうとする学習者が、目標に向かって合理的な道筋を一直線に進むことは、むしろまれである。多かれ少なかれ、紆余曲折し、失敗し、行きつもどりつしてある課題の解決なり理解なりに至るのが普通である。当然、そのことに伴なって時間もかかる。その子どもなりのそうしたいわば試行錯誤を保障できるかどうかの鍵になる。すでにできた者、わかった者から見れば無駄と思えることも、これから学習するものにとっては重要な意味をもつ。

『はじめに子どもありき』

これは、自分の実感として非常にあります。2つの事例をお話ししていきます。

一つ目は初任の時です。授業がまだ全くうまくいかずに指導書通りの授業をしていた時です。指導書に書いてある内容を子どもに教えようとするのですが、これが全くうまくいかない。

上の引用を読んで、思わず振り返ってしまいました。自分が子どもの頃はもっと色々試行錯誤した上に学びが定着したんだなと。

足し算・引き算でもいろいろな計算方法を経た上で自分のスタイルがあることも振り返ってみてわかります。教える側としては、早くこの教えるべき内容を教えてしまいたいと思うでしょう。

しかし、子どもはわたしたちからしたら無駄だと思える経験をして辿り着くということを本書から教えてもらい感動しています。

もう一つは、若手の同僚に対してです。去年は校内研究で一人一台端末の活用をテーマにして進めました。個人的には課題はあったものの、どの教員でもある程度活用できるようになり、大人も子どもも活用するメリットがあるというところでまとめられたと思っています。

しかし、若手の先生はどうでしょう。普段の授業を進めるだけでも一杯一杯なのに急にパソコンもやれと言われる。今振り返ってみると、研究全体会やOJTなどで私が喋っていたことは何をいっているんだと思っていたかも知れません。

ここにも学ぶものの論理と学んだものの論理があると思います。今後は、相手のことをできるかぎり理解して、伝えようと思いました。

3個性が生きる授業

しかし、永野重史さんが「ひとりひとりが自分の頭で考えることが個性を発揮することだ」・と述べているように、個性そのものについてははっきりわからなくても、子どもが自分の頭で考え、自分の感覚で感じ、自分の心で思い、自分の意志で行動して、自分の持てる力を存分に発揮した時に、その子どもの個性が発揮されたと考えられたらどうだろうか。そのように考えれば、子どもの個性を大事にして、それに応じた指導に取り掛かることができるはずである。

『はじめに子どもありき』

個性とは何かというお話です。個性というと長所・短所という部分に目が行きがちですが、上記の引用からすると主体的に行動できることこそ個性なのであるということだと解釈しています。

これが特別支援学級ではどうでしょうか。個人的には、主体的に活動できるようにするための環境づくりや教材開発が重要だと考えています。

子ども一人一人を丁寧に見取ることで主体的に活動できる授業になるのではないかと考えています。むしろ、それを今年のテーマにしようかと。正直難しいですが、頑張ってみます。

以上が、『はじめに子どもありき』から今後の授業を考えるになります。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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