今年三本目の記事です。2023年のテーマは「爆発」にしました。岡本太郎の本を読んだり、実際に昨日太陽の塔に行ったりして、自分自身を爆発させることが大切だなと。
その「爆発」と密接に関係していると思っているのが「遊ぶ」ということです。最近は遊ぶことが非常に大切だと思っており、遊びに関する本を読み漁りたいです。
ということで、本日紹介する本は『「遊び」の本質』という本です。この本は、今私が参加している読書会で教えていただいた本なのです。
とてもわかりやすい文、かんたんな文の中に非常に大切なことがたくさん書いてあります。本質的なことを、本書のようにわかりやすく文章で表現することは実は難しいことです。
毎ページ読んでいて、全てに付箋をつけたくなるくらい良い本です。今回はその中から遊びについて大切だと思ったことを3点にしぼって書いていきます。皆さんの参考になれば幸いです。
1ほめることの功罪
「ほめて育てる」ことが推奨されています。遊び場でずっとこどもの傍らに立ってきたぼくは、じつは、ほめることにはとても慎重です。「こうあってほしい」という、自分にとっての「いい子」の姿をしたときに、きっと大人はほめるのでしょう。ほめることは、自分が「なってほしいこども像」の裏返しである可能性が高い。
「よくできたね」は、ある面、呪いの言葉です。「できること」に価値があると教える可能性があるからです。できてもできなくても、本人がそれに興味をもってなにかを始める、挑戦する、それ自体に価値があるのです。
『「遊び」の本質』より
遊ぶことの前に引っかかったことがあるので、それを書きますね。みなさんは、子ども褒めることはいいことだと思いますか❓
私は、子どもを褒めることでお互いにメリットがあるんじゃあないかと思って多用していた時期があります。ただ、今は上記の引用のように少し懐疑的になっています。
例えば、「ずっといい姿勢ですごいね!」「最後まで書くことができてえらいね!」とかですかね。あまり意識していませんでしたが、確かに「私がずっといい姿勢でいてほしい」という価値を優しく押し付けているような感じがしますね。
教育現場では、褒めることの功罪どちらもあるのではないかと。実際に学校現場で褒めずに1日過ごすのは、私には難しいです。ということで、褒めるテクニック的なものには私は反対です。
子どもを動かすために、褒めることにはどうしてもわざとらしさがあります。私も、褒めのテクニシャンの先生の指示は、聞いてて少し恥ずかしい感じがします笑
だから、自然発生的なこころからの「すごい!」とか「いいね!」くらいはいいんじゃあないかと。打算的ではなく、自分がすごいと思ったからすごいと言いたい!これぐらいのスタンスであればオッケーなんじゃあないかと思いました。
2「プロセス」が生み出すもの
いまのこどもに損なわれている体験や経験のうち、大きなことのひとつが、この「プロセスにかかわる」ということです。消費社会ではほとんどが完成品で売られているので、買ってきたものを使うだけで「プロセス」が抜けているんですね。暮らしのなかで最後まで残っているプロセスは、料理です。(中略)つまり「知恵」や「工夫」は、すべて「プロセス」のなかにあるのです。
『「遊び」の本質』より
遊びに大切なものはプロセスだと思うのです。むしろ遊びに結果とかいります❓笑
このことに関しては、以前のブログで書いていたことを思い出したので、よろしければお読みください。
『遊びが学びに欠かせないわけ』読んで、未来の学校に必要だと感じたこと。
ですが、今思ったことは「遊び」は集団の中で生まれることがほとんどなのかなと。
私が、やろうとしているコーヒー焙煎や陶芸は、過程も大切ですが、同時に結果も大切です。美味しいコーヒーやいい器を作るためには試行錯誤を繰り返す必要があるとは思います。
ということはこれは「気晴らし」というやつですかね。(これに関する本も読んだのまたブログに書きます)
少し話がそれましたが、遊びにはプロセスが欠かせないということです。私の例だと、最近zoomにて読書会のメンバーと「爆発的雑談会」(略して爆談)という雑談を行っています。
これがなかなか良く、一応のテーマは決めるのですが、途中途中でいろんな方向にいって、結局なんだだった❓て感じで終わります。それがいいのです。
一人一人が雑談の中で自分を限界まで出し、爆発させる。これが、ぶつかり合うことにより、話し合いの中で気持ちよさを感じる。たとえ結果がどうなろうと。
このように私は、実体験の中でプロセスを大切にすることを感じております。
3「消費」ではなく「生産・創造」
逆に「プロセス」の過程は、「消費」だけではなく「生産・創造」です。生み出していくということです。プレーパークの「遊び」でぼくたちが実現したいと思っているのは、こどもが「私の物語」を生み出すような、そういう「生産・創造」の経験なのです。
『「遊び」の本質』より
説明していませんでしたが、著者は「プレーパーク」にずっと携わってきた方です。私も家の近くに、同じような施設があります。実際に行ったことはないですが、火おこしをしたり、アスレチックのようなものを作っていたりと楽しそうなイメージです。
火遊び、いいですよね。私もやりたいとは思っているのですが結局できていません。
この引用文を読んで、「何か自分で創造したい!」と強く思います。今までは、誰かの創造物に憧れて感動する日々でした。今年は自分がその創造を下手くそでもいいからやっていきたいと思います。
ここでは、昨日ブログに書いた岡本太郎の言葉も影響しています。本同士のつながりが私に頑張る勇気をくれます。とりあえず「遊び」のなかで「創造」してみます。
以上が、『「遊び」の本質』から遊びの大切さを学ぶになります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。