『暇と退屈の倫理学』から学んだこと

今回のブログは前回の記事につながることが非常に多いと感じています。

ちなみに前回のは、『脳と森から学ぶ日本の未来』を読んで、暮らし方を考える。

になります。よろければお読みください。

前回のブログに書いた、文化がなぜ必要なのかに対する答えが書いてある本だなと思います。様々な哲学者の退屈論を参照しながら、ひとつの答えに辿り着く過程は必見です。

今回、ニュアンスは説明できると思いますが、本書を通読することによる爽快感は味わえないので、ブログを読んで興味が出たらぜひとも読んでいただきたいと思います。

今回は、退屈論の中かから特に私が響いた点について2点にまとめてみました。皆さんの参考になれば幸いです。

1消費と浪費

浪費はものを過剰に受け取ることだが、物の受け取りには限界があるから、それはどこかでストップする。そこに現れる状態が満足である。それに対して、消費は物ではなくて観念を対象としているから、いつまでも終わらない。終わらないし満足も得られないから、満足をもとめてさらに消費が継続され、次第に過激化する。満足したいのに、満足をもとめて消費すればするほど、満足が遠のく。そこに退屈が現れる。(中略)本書ではこれを疎外と呼んだ。

『暇と退屈の倫理学』より

まずは、「浪費」と「消費」の違いについてです。なんとなく「浪費」って悪いイメージがありましたが、ここではどちからかというといいイメージで使われていますね。

本書の中での定義でいくと、「浪費」には限界があると。例えば、食事がわかりやすいですよね。大食いの人も含め、食べる量には限界があります。

おいしいものをたくさん食べて満足する。これが浪費です。一方で「消費」とは観念を対象としている。観念を対象とする、これは少し難しいですね。

本書の例でいうと、グルメブームのようなもので、食べログの上位店や有名人の紹介店などに人が殺到する。これは、だれかにマウントをとるためにやっていると。

そうなると、その影響を受けて私もいかなくちゃと消費行動を煽る結果になると私は理解しています。近年のアニメや漫画などのエンタメもどちらかというと消費に向かっているような気がします。

流行りのアニメや漫画を友達と共有するために見る。自分から見たいというよりかは、友達に話すために消費をしている。だからこそ、ネタバレサイトを見たり、今話題のタイムパフォーマンス(タイパ)をよくしたりすると。

私も流行りのものは見ますが、AmazonプライムやNetflixなどほんとに無限にありますよね。

私も、器や古道具が好きでつい買ってしまうことああります。これは、消費ですかね❓いや浪費かな。モノを購入して、満足はするのですがやはりいいモノにはときめいてしまいます。

服も然り。服もどちらかというとたくさん買ってきるというよりかは、服自体のロマン、モノとしての服に興味があります。

なんでこんな織り方をするのか、裏地の柄の美しさなどどちらかというと古道具寄りの視点で見てしまいます。だからこそ、買う時もめちゃくちゃ慎重です。何度も見て、試着しての繰り返し。

自分の中でこれは「浪費」だと割り切ってやっていこうと思います。

2ハイデッガーの退屈論

そこでハイデッガーはまず、退屈を二つに分けて考えることを提案する。

一つは、①何かによって退屈させられること。

もう一つは、②何かに際して退屈すること。

ハイデッガーは①を退屈の第一形式、②を退屈の第二形式と呼ぶ。

『暇と退屈の倫理学』より

本書では、ここが一番重要なところだと考えております。ただ、説明が難しい。

上記の引用の部分で言うと、退屈の第一形式は電車を一人ぼっちで待つ時、退屈の第二形式は呼ばれたパーティーでなんとなく退屈だと思っている時ですかね。

一応本書の例なのですが、少し解釈が違うところもあるかもしれません。

ほんとは第三形式もあるのですが、今回ははしょります。著者の國分さんは、第一形式は良くなくて、第二形式もネガティブだけど私たちはこの退屈と向き合っていかなければならないとのこと。

退屈は、歴史的には定住するようになってから始まったと言われています。ここでも狩猟採集時代の関連がありますが、確かに狩猟採集時代は暇はなさそうだし、モノ自体もかなり少ないミニマリストっぽいですよね。

そしてこの定住生活が始まったからには暇と退屈とどう向き合っていくかが大切です。そこで、芸術やアートなどの文化がだんだんとできてきたと。こういう流れになっております。

本書を読んで、やはり浪費は大切なことだと思いました。ただ、消費社会のコマーシャルに煽られて消費行動をする可能性もあるので、意識して行かなければなあと思います。

退屈の第二形式の概念を忘れずに、退屈を楽しく向き合っていきたいと思います。

以上が、『暇と退屈の倫理学』から学んだことになります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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