どうも!今日は4月1日。新しい年度が始まると言うことで、新たな学びをしていこうと思う。
「能」だ。日本の伝統芸能。日本文化に興味をもったことはあるが、能は正直、地味なイメージがあったので学ぶことや観ることはなかった。
3年前、ちょうどコロナ前に、インドに一人旅に行った。何かテーマをもった旅にしようと思い、「日本文化をインドの方々に伝えよう」と決めた。
日本文化を調べた結果、私に向いていそうなものは「茶の湯」ということがわかり、千利休の自由で創造的な茶の湯にハマり、仕事中にも抹茶をたてていた。
以前のブログにも書いているので是非みてほしい。
茶の湯は本当に自分に合っていて、良い学びになった。
次に興味をもったのが「落語」である。これは、2年前にカフェにて「三遊亭兼太郎」さんとの出会いからである。
それまで落語は一回も観たことはなかった。コロナ禍でなかなか観に行けなかったのだが、実際に行ったら非常に面白かった。Youtubeでも観たが、実際に目の前で観た時の感動は今でも忘れられない。
落語は、場の空気を変える力を持っている。本を読んでみると、さらに面白かった。特に、立川談志師匠の「落語は業の肯定」と言う言葉に感銘を受けた。
人間のしょうもなさ、ダメさ加減を落語はあたたかく包み込んでくれる。落語はただ面白いだけではなく、味わい深さも同時に感じられることがわかった。
そして、今年は能である。なぜ能か。それは、私が前年度まで参加していた読書会の主催「胡桃堂喫茶店」の影山知明さんが能についての勉強会を開催するからである。
これは、チャンスだと。今まで興味のなかった能が、仲間と学び合うことで良きものに感じられるのではないかと。
ですが、お金と時間の問題もあり、ギリギリ悩んだ末に申し込み。そして、本日第一回目の講座があった。
私のこの会への意識は、能に対しての半信半疑ではなく、「三信七疑」つまり能が本当に良いものなのかをかなり疑っているところである。
地味なイメージもある一方で、なかなかその良さが伝わってこない。茶の湯や落語なんかは時代に合わせて、変わりつつある。私の知識不足もあると思うが、能にはそれがあまりないような気がするのだ。
最近は、岡本太郎に興味をもっている。
岡本太郎は、芸術は大切だが「芸事」つまり能や長唄、茶道にはそこまで興味を示さなかったようである。
私も、茶の湯は好きだけども茶道は苦手である。つまり、型がありそれを無意識にできるまで、同じ動きをやり続けるものである。
確かに、どんなことでも型は重要だろう。例えば、スラムダンクの桜木花道が派手なダンクをさせてもらえないでキレてしまう場面がある。
だが、地道なドリブル練習こそがバスケの型につながっていく。これは基礎基本を身につける上では非常に重要な視点である。これには異論はない。
ただ、あくまでイメージではあるがドリブル練習を3年、5年と続けていくことは桜木花道じゃあなくても発狂してしまうだろう。これには向き不向きがある気がする。
だからこそ、能にはあまり良いイメージがない。だからこそこの能カレッジで学ぶ中で能の魅力に気づき、世界観に浸りたい。
実は、第2回は来週の4月8日土曜日に国立能楽堂に行って実際に能を観て感想を交換する。あえて事前に知識はあまり入れずにいこうと思うので、感じたいなと思う。
ちなみに第一回は「能の概要」についてであった。影山さんと能のプロ❓田村さんとの掛け合いが見事でそれが一つの伝統芸能のような錯覚も受ける。
今日の会での気付きは、「それぞれの文化には表裏のテーマがあるのではないか」ということ。
例えば、落語。落語の表のテーマは「笑い」だろう。落語を観に行く人のほとんどは笑うためだと思う。これが表のテーマ。裏のテーマというのは、表立ってはわからないが落語の根底になるもののことだ。
落語会のレジェンド立川談志師匠が残した「落語は業の肯定」という言葉。人間のいいかげんさ、どうしようのなさを受け止めてくれる落語。これを感じることができれば落語の面白さががぐっと深まる。
茶の湯も茶を立てて飲むという表のテーマの中には、見立ての創造性という裏のテーマがあるように思える。
能でいうと、表のテーマは楽器や歌など音楽の要素が大きいと予想している。また、踊りやすり足などの所作や動きも表のテーマだろう。
では、裏のテーマは何なのか❓これが気になっている。この裏のテーマを考えながら、来週の初能を楽しみにしたいと思う。
以上が、第一話「三信七疑」ある。来週の第二話もお楽しみに!