『「学校」をつくり直す』を読んで、今年度探究を探究すると決めた話

どうも。GW後半戦。今日もブログを書いていく。休みの日だと安定してブログが書けますな。平日にも書きたいので、どうやってブログを更新していくかをあと2日で考える。

今日は、教育系に戻ってみる。『「学校」をつくり直す』である。この本は苫野一徳さんという方が書いた本で、苫野さんの本は非常に面白いしわかりやすい。

本書はこれからの教育はどうあるべきかを述べている本だ。実は、この本がGW中に書いた教育系の記事と繋がってくる。もし良かったら読んでみてほしい。

『そこに、遊びがある授業』から遊びと学びを考える

『令和時代の総合的な学習の時間入門』から総合を創っていく

なぜこの二つの記事とつながってくるのか。それは、本書が述べているこれから必要になる力が「探求する力」だったからである。

探求と言えば、「総合」、そして探究に必要なものが「好奇心と遊び」。上記の二点の記事が本書につながる理由である。

そして、著者はこの「探究する力」をもとに学校を作り直していく必要があると述べている。その具体的な箇所についてわたしの経験を踏まえて4つのポイントで述べていく。

みなさんの参考になれば幸いである。

1探究する力

この力(探究する力)を、子どもたちはどうすれば育めるでしょうか?

言うまでもなく、それは子どもたち自身が、「自分(たち)なりの問いを立て、自分(たち)なりの仕方で、自分(たち)なりの答えにたどり着く」、そんな「探究」の経験をったぷり持つことによってです。その時教師は、子どもたちの「探究」をサポート、ガイドする、「共同探究者」「探究支援者」になる必要があります。「共同探究者」「探究支援者」としての教師は、どれだけAIが進化したとしても、あるいはAI時代においてはなおのこと、これからますます必要とされています。

『「学校」をつくり直す』より

探究する経験をたくさんすること。確かに、探究する力は探究しないと身につかない。でも、子どもに経験させる前に、教師がどれだけ探究しているかということを考えてみたい。

探求することの楽しさを教師が実感していなければ、「共同探究者」になれないのではないか。これは非常に大きな問題だと感じている。

文科省から学習指導要領という法的根拠があるものをやりなさいと言われるがままにやる。ここに主体性はない。やらなくてはいけない中に、どうおもしろさを見つけるか。わくわくできるか。

そして、やるべきことをやりながら子どもたちのやりたいことにも沿っていく。これは非常に大変なことだが、子どもが主体的にになるにはまずは大人が主体的になるべきである。

教師が子どもと同じように好奇心や遊び心を持って探究するためには、ファシリテーターよりもジェネレーターのような視点が不可欠だと感じている。

ジェネレーターについては以前のブログに書いたのでよければ読んでいただきたい。

『ジェネレーター 学びと活動の生成』を読んで、感動した話

ジェネレーター視点で「共同探究者」になることは、今後AIが全盛なる際に教育にできる非常に重要なことだと考えている。

2失敗の重要性

「探究」の過程で、子どもたちはたくさん失敗をします。でもそれこそが「探究」の重要な意義でもあります。月並みですが、わたしたちは失敗からこそ最も多くを学び取るからです。(中略)一つには、親や教師がケガや失敗を恐れて、子どもたちに冒険をさせないこと。「あれをやっちゃダメ、これをやっちゃダメ」。そのため、好奇心が育たない。と言うより、むしろ好奇心が去勢されてしまう。

『「学校」をつくり直す』より

「好奇心が去勢される」これはとても怖い言葉ですね。でも子どもには「それはダメ」といいがちです。教師、いや人間は自分の価値観でいいと思ったものは自然に相手に伝えようとしています。

逆に、火遊びとか、水をただ出しっぱなしにすることなどは、世間一般によくないこととされているので禁止しようとします。ただ、穴を掘ることなど意味のないようなことなども、怒られはしないものの、冷ややかな目で見られる確率が高い。

今は、コスパ・タイパの時代で、無駄なことや非効率なことが嫌われ、危ないこともコスパが悪い?となって当たり障りがない世の中になっていると感じる。

そんな中で、失敗をどれだけ許容できるだろうか。コスパ思考が広がると失敗することはコスパが悪いとなるので、色々なことにチャレンジする好奇心が去勢されてしまう。

非効率や無駄、余白が遊びや好奇心に繋がってくるのに。だからこそわたしは、自分の身の回りから、失敗することの大切さを体現していきたい。わたしがたくさん失敗する。

そして、その失敗からより良いものを作っていく。それが一見非効率に見えても。

3遊びと探究

「探究」とは、本来最高の「遊び」である。そう、わたしは改めて言いたいと思います。子どもたちの「遊び」を見れば、それは一目瞭然です。あの「遊び」が、高度の「探究」でなくて一体何でしょう。あの「探究」が、最高の「遊び」でなくて何なのでしょう。「遊び浸る」ことこそ、「学び浸る」こと、「探究する」ことの、本来最も強固な土台なのです。

『「学校」をつくり直す』より

本書の中にも「遊び」の大切さが説かれている。わたしも、子どもの遊びから学ぶべきことはたくさんあるなと感じている。

子どもたちがなんとなく始めた遊びの中に、社会性やコミュニケーションなど様々な要素が入っているのである。これは本当にすごいことで、わたしも毎回感動している。

遊ばないで勉強しなさい、という批判を避けるためには何ができるであろうか。特に学校教育ではそうだ。「学力」の向上が第一の目的になっている今、「遊び」には何ができるのか。

その答えが「探究する力」なのではないか。学校で身につける力が「学力」から「探究する力」へパラダイムシフトすることにより、「遊び」の必然性が高まる。

まずは自分から。「好奇心と遊び」を大切にしていきたい。

4評価のあり方

子どもたちには、点数評価などを気にせずに、とにかくたっぷりと、自分自身のテーマに浸り、自分自身の問いにチャレンジしていってほしいと思います。そして評価は、子どもたちがこれまで何をどのように頑張ったか、これから何をどのように頑張っていくといいか、子どもたちを応援・支援する仕方でフィードバックする。フィードバックとしての評価。これが、「探究」(プロジェクト)における評価の原則と言えるだろうと思います。

『「学校」をつくり直す』より

「探究する力」の評価はどのようにするべきか。本書では、「子どもを支援するフィードバック」が原則だという。現在の学校では市販のペーパーテストを中心に数値での評価が一般的になっている。

数値評価の良さは、一目でわかるということ。逆にいうと、わかりやすさを犠牲にして、子ども一人一人の持ち味を見えにくくしている。

だが、これは現在の教育システム上は仕方ない。学級35人一人一人にフィードバックしていくのは至難の業である。わたしも、一度37人の担任をしたことがあるが、集団を見ながら一人一人を見ていくことは実に難しかった。

そんなシステムなので、現在の数値評価はある程度は仕方ない。ただ、もっと数値評価の部分を簡略化してして、探究のフィードバックによる評価を大切にしてもいいのではないかと思う。

本書にも学習指導要領の内容を抑えつつ、カリキュラムマネジメントにより4割くらいは探究学習ができると述べている。

まずは、地道に少しずつ、探究の文化を根付かせていきたい。

以上が、『「学校」をつくり直す』を読んで、今年度探究を探究すると決めた話になる。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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