『そこに、遊びがある授業』から遊びと学びを考える

大型連休に入ったので、ブログをまた進めていく。最近、「総合的な学習の時間」と「生活科」を研究したい欲が高まっている。

今年度は、情緒固定学級の「総合的な学習の時間」の専科と、少人数指導担当という少し特殊な立場で指導している。通常級にも総合の導入授業をしてきたばかりだ。

久しぶりに、博士のコスプレをしてキャラを固めて指導してきた。前任校で鍛えられたものが生かされている。当時は、男子更衣室がコスプレ会場のようになっていたのを思い出した笑

去年もそうだったが、今年も非常にやりがいを感じている。今年は、より新たなものを想像できるような気がして、毎日ワクワクしている。まるで、遊んでいるかのようである。

そこで、今回は「遊び」をテーマにした本を紹介する。『そこに、遊びがある授業』である。

実は「遊び」は私の今年の研究テーマであり、今までも遊びに関する本は読んできている。もしよろしければ、参考にしていただきたい。

『遊びが学びに欠かせないわけ』読んで、未来の学校に必要だと感じたこと。

『「遊び」の本質』から遊びの大切さを学ぶ

『そこに、遊びがある授業』は、安藤浩太さんという方が書かれた本で、遊び史から始まり、独自の「play型授業」「play型学習(play-based-learning)」という概念を自己の実践から論じている。

実は、来週著者の安藤さんに直接会う機会を作っていただいたので、今から非常に楽しみである。

今回は私が特に大切だと思った3点を以下に述べていく。みなさんの参考になれば幸いである。

1遊びの定義

①遊び手が楽しいと感じる活動であること

②遊び手が外部から強制されたり、拘束されたりするという感じをもたないこと

③遊び手にとって遊ぶこと自体が目的となる連続した文脈が形成されていること

『そこに、遊びがある授業』より

「遊び」といえば、ホイジンガやカイオワなどの先人がいる。私もどちらの本もざっとは読んだが、上記の引用が遊びの定義として非常にわかりやすかった。

面白かったのが、①の「楽しい」には苛立ちや悩みや困難さも関係しているということである。一時的な快楽も遊びではあるが、困難な状況を伴うことも遊びには影響しているそうである。

ドラゴンボールの悟空のようなものだろうか。自分の想像を超えた敵が現れた時に「オラわっくわくすんぞ!!」とむしろその状況を楽しむ。この心的な態度が遊びにつながっていくようである。

②は非常にわかりやすい。〇〇して遊ぶよー!と教師や大人が遊びに誘ったところで、実は子どもにとっては遊びではないことが往々にしてある。

遊びは自由なのである。ただ、子ども自身が自由に遊んでいるような場や環境を作ることはできる。私も今年はそれを目指していきたい。

③も非常に大切である。遊びのストーリー性。子どもはストーリーが大好きだと思っている。ただ、教師がストーリーをあつらえるのではなく、子どもと一緒にストーリーを作っていくことがわたしは好きである。

そのために大切なのは、「余白・無駄」である。子どもたちが創造できる余白を残した上で授業設計をすることが重要だと考えている。実際、「遊び」という言葉には「余白」という意味を含まれている。(ハンドルの遊びなど)

簡単にまとめると、孫悟空のように常にワクワクすることが遊びでは特に重要なことである。このブログのテーマである「好奇心」にもつながる大切な要素だ。

2計画は緻密に、実践は柔軟に

大事なのは、子供たちのどんな実態にも添えるほど緻密かつ多様に計画しつつ、いざ実践となったら学びの現在位置や思いや願いといった進みたい方向、そしてゴールを一体的に捉えながら柔軟に舵をとっていくことです。

『そこに、遊びがある授業』より

ここからは、授業の話になる。上記の引用で述べられていることは非常にシンプルである。だが、それゆえに非常に難しいと感じている。

まず、緻密に計画を立てる時間がないのが実態である。実際に総合は4月からスタートすることになっていて、教員同士でじっくりと話し合う時間はほとんどなかった。

ほんとに4月の一ヶ月はあっという間であった。私が話しかけようと思ってもなかなか話せず。自主研究会を一度開けたのはよかったけども、それだけ。

まあ、5月から自分のペースでやっていこうかと。今年は、総合の実践をしつつ、みなさんが参考にすることができるものを作っていこう。

来年緻密な計画ができるように、今年度は耕しの時期だと思って。通常級は、カリマネも意識して作り、先生方の負担を軽くしていきたいと思う。

その分、情緒固定は遊びを多く取り入れ、共に創っていく総合にしていく。何か、決意表明みたいなものになってしまったが、今年は楽しみながら実践を重ねていきたい。

実は、本書に書かれている「レストラン」の実践は、去年私もやっている。ただ、本当に予定になくて、子どもたちから「畑の野菜を使って、レストランを開きたい」を採用した結果、できた。

いろいろと困難な道のりではあったが、私も最後は子どもたちの力に感動した。子どもがやりたい!と思ったことを実現できる総合はとても良いなと改めて感じた。

そして、今年は、その一つ下の子どもたちから「やりたい!」の声が。この「レストラン」が一つの選択肢、文化になっていて良きと感じた。

ただ、その頃も緻密に計画していたわけではないので、これも今年度の課題である。

3「遊びながら学ぶ」から「遊ぶように学ぶ」

私は、「目に見える遊ぶ」という遊びの形態と遊ぶ心的態度がピタリと重なった状態から、「目に見えない遊ぶ」という一般的な遊びの形態を離れても遊ぶ心的態度は在り続けるように変化していくと考えます。あえて言葉で表現するなら「遊びながら学ぶ(低学年期)」から「遊ぶように学ぶ(中学年期以降)」となります。

『そこに、遊びがある授業』より

これは、「生活科」と「総合的な学習の時間」の連携につながってくる話である。1・2年生では、生活科以外でも、〇〇遊びが多くあります。遊びから学びを得る段階になる。

それが、3年生からは、それぞれの教科からは〇〇遊びという言葉は消えてしまう。だけれども、遊びがなくなったわけではない。先ほども取り上げた「孫悟空的な態度」は変わらないのである。

この態度をどれほどの大人が持っているだろうか。わたしは、この好奇心、遊びがこれからの教育に必要なものであると感じる。生涯教育にもつながる。

だからまずは、大人から。教師が遊びに浸ることによって、子どもも巻き込んでいく。

教師の視点で言うと、まずは各教科の見方考え方を理解し、各教科の遊び方を教師が熟知しておく。子どもにとって、「各教科」が楽しいと思えるように。

各教科の授業を大切にしながら、それを活用してより「遊ぶ」ことができるのが、「生活科」と「総合的な学習の時間」だと考えている。

以上が、『そこに、遊びがある授業』から遊びと学びを考えるである。とりあえず来週、安藤先生にこのことを話してみよう。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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