さて、2学期になりました。ここからだんだんとダイナミックになっていきます。実際に作ってきたものや場所がだんだんと形になってきて、いい感じになってきました。
ただここでどうしても起こってしまうことが「飽き」です。完成度が高くなっていくにつれて探究のモチベーションが下がってしまうことが起こります。「これでいっか」的な。
そんな時に何をしたかと言うと、追加で予算から様々な素材を買って環境を変えたり、外部の人を連れてきて作成したものを見せたり。
探究を続けるためには、学習環境を調整することは非常に重要だと思いました。
特に、作ったものを様々な人に見てもらってフィードバックをしてもらうことが特に重要です。だからこそ、こちらが意図的に、色々な人に見てもらえるような人的環境を整えることが必要です。
これは、私が今まで無意識に行ってきた外部の人を講師としてきてもらうということに繋がった気がします。3年くらい前から、私が出会った素敵な人を学校に招待して話したりモノづくりをしたり。
子どもたちが先生以外の大人と出会うことで、子どもの世界が広がると考えています。「こんな仕事があるんだ」「これでいいんだ」など。
ちなみに2学期は、落語家さんや芸術家、そしてコーヒー焙煎士の益岡さんを学校に招いて授業をしてもらいました。特に、芸術家の渡邉知樹さんには私の授業にも参加してもらい、実際に子どもにフィードバックをしてもらいました。
この授業は、研究授業と言って、校内の全先生が私の授業を観て指導していただきました。その際、子どもたちが自分の制作物を見せたい先生を事前に選び、プレゼンを行いました。
この授業で子どもたちはよかったところも担当の先生からフィードバックを受け取りますが、次の課題も受け取るわけです。ここから新たな探究が始まります。
今回はこのプロセスは一回でしたが、できれば2学期中に2回はやりたいなと。そして、校内研究で指導案を作ったのですが、今までの計画と実際のプロセスが違いすぎて作成に難航しました。
ここの難しさをどうするかを考えたときに出会ったのが東浩紀さんの『訂正可能性の哲学』です。この本によって、子どもたちと自分たちがやってきたことを『訂正』しました。
過去の行動は変わりませんが、解釈を変えることができます。一見道に逸れてしまっていることも見方を変えれば、一つのストーリーになるという解釈を変えるのです。
計画通りにいかないのが探究だと思っていますが、それを適宜『訂正』することで新たな授業を提案できるのではないかと思っています。そうすることで、子どもたちと寄り道したり別の道に行くことがそこまで怖くなくなりました。
もちろん、最終的なゴールは決めておきます。そのゴールに向かうプロセスを訂正していくのです。
子どもとの話し合いの際も、自分の意見を訂正していいことは伝えていきたいですね。以下に東浩紀さんの「訂正する力」の一文を引用します。
p33
訂正できる土壌をつくることはとても大事です。「ひとの意見は変わるものだ。われわれも意見が変わるし、あなたがたも意見が変わる」という認識をみなで共有しなければなりません。これは教育にも関わります。小学校ぐらいから、話しあいの時間をつくり、「たしかにあなたの意見は正しいかも」と気づきを自分の意見を変えていく、また他人の変化も認め合うという訓練を積み重ねるべきです。それは「論破」を目的としたディベートとは似て非なるものです。
「訂正する力」より
今後の教育に必要なものは「訂正する力」だと割と本気で思っています。あとは「余白」これは、鈴木寛さんことスズカンさんに言われたものです。
実は11月にゲンロンカフェというイベントがあり、東浩紀さんはもちろん、スズカンさんと乙武さんもいました。初めてのゲンロンカフェで目の前にこのお三方がいるというのは、興奮しまくりでしたね。
そこで、教育談義の後の質問で、「今の教育に必要なものは」と聞いたところ、スズカンさんからは「余白」だと教えてもらいました。確かに、今は学校だけではなく家に帰っても習いごとなどで余白がなさそうです。
東さんもその時言っていましたが、余白がないと主体的に活動することができないと。私も今来年度に向けての探究プロジェクトを考えていますが、力みすぎるとよくないなと考えています。
「わたし」がやりたいことはたくさんあるが、それが「子ども」のやりたいことと必ずしも一致はしないですよね。だからこそ、いろいろな可能性を考えていけたらと考えています。
さあ、今日で今年ラストですね。なんとか今年中に振り返りができてよかったです。来年の目標はこの前決めたので、明日ここに書きたいと思います。
それでは、良いお年を!
「急」は年度末にまた振り返りたいと思いますー