少し前にブログに、インド旅行に行く目的として「茶の湯」を学んだということを書きました。
茶の湯を学んだ際に、よく出てきた言葉として「わびさび」があります。
「わびさびがあっていいねー!」とは、今までの人生で一度も言ったことがありません笑
果たしてわびさびとは何なのか、気になっていくつかの本を読みました。
その中の一冊が、『わびさびを読み解く』というまさに今回のブログのタイトルにもなった本です。
この本は、レナード・コーレンという外国の方が書いた本です。「わびさび」という曖昧なものについて、いろいろな角度から考察されていてとても読み応えがありました。
今回は、一読した上で私が「わびさび」を読み解くポイントになるなと感じた2点についてお話しします。
1「わびさび」とは、不完全ではかなく未完成のものが織りなす美
著者は、「わびさび」の定義を以下のようにとらえています。
わびさびは
不完全ではかなく未完成のものが織りなす美
謙虚で慎ましやかなものが織りなす美
ありきたりでないものが織りなす美
『わびさびを読み解く』より
私は、その中で「不完全ではかなく未完成のものが織りなす美」という部分に共感しました。
何と言えばいいのか難しいですが、不完全なもの・未完成のものには「想像の余地」があると思います。
例えば、未完成の物語には続きを想像する楽しさがあったり、取ってが欠けたコップを見ていると何か違うものに見えたり。
受け手の想像によって、モノへの愛着、美しさがさらに高まっていくのではないかと考えます。
均整が取れたモノ、左右対称で完璧なモノにも美しさはあると思います。
しかし、それはモノ自体が完璧で美しいのであって、受け手との関係性はあまりないんじゃないかと思います。
やはり、「想像の余地」がある未完成・不完全なモノがもたらす美こそが「わびさび」を構成する重要な要素であると感じます。
2「わびさび」を通して、当たり前のことを見直すきっかけになる。
「わび」と「さび」は元々別の意味を持っていたようです。
引用すると、
「寂び」は「冷え冷えとした」「乏しい」「枯れた」を意味し、「侘び」は世間から離れた自然の中での独り住まいの侘しさを言い、やる気が萎え、意気沮喪し、鬱々としている心の状態を指した。
『わびさびを読み解く』より
このようないわゆる「貧しい」状態にいることが、精神的には豊かな状態になれるチャンスなのではないかと考えられていたようです。
このことから私は、「わびさび」は、普段目立たない地味なものや当たり前だと思っていることに新たな良さを見出すきっかけになるのではないかと考えました。
なぜなら、地味なものや当たり前の風景こそ、よく観察することで良さに気づくことができるからです。
例えば、私は毎日通勤の際に自転車で枯れたけやきの大木の横を通ります。
今までは「何となく大きいなー」と見上げるだけでしたが、よく周囲を見るとかなり遠くまで根が張っていることに気がつきました。
さらに近づいて観察してみると、今度は木の皮がいろいろな生き物の形に見えてきました。
よく観察することで、当たり前に見えていたものが「なんかいいなあ」と思えるようになりました。
「細かに観察する」ということは今後も様々な場面で生かすことができる重要なものだと感じました。
「わびさび」という視点だけではなく、人間関係においても細かく観察する繊細さは失わないようにしていきたいなと思いました。
以上2点が、私が、「わびさび」を読み解く上で重要だなと思った2つのポイントになります。
普段の生活にも活かせそうなので、普段見逃していた当たり前のことを意識して細かに観察してみます。