「正欲」と言う浅井リョウさんの小説を読みました。小説は普段あまり読まないのですが、妻が買ったこの本が気になり読んでみました。
読むと、とても面白く先が気になってしまい、一気に読んでしまいました。私にとって、この本のテーマは「多様性と想像力」だと思っています。
多様性に関しては、冒頭の文章を引用します。
多様性、という言葉が生んだものの一つに、おめでたさ、があると感じています。自分と違う存在を認めよう。他人と違う自分でも胸を張ろう。自分らしさに対して堂々としていよう。生まれ持ったものでジャッジされるなんておかしい。
清々しいほどのおめでたさでキラキラしている言葉です。これは結局、マイノリティの中のマジョリティにしか当てはまらない言葉であり、話者が想像しうる″自分と違う″にしか向けられていない言葉です。
想像を絶するほど理解しがたい、直視できないほど嫌悪感を抱き距離を置きたいと感じるものには、しっかり蓋をする。そんな人たちがよく使う言葉たちです。
「正欲」より
はじめは、この文章を読んで「なるほどなあ」くらいに思っていました。しかし、最後まで読むと、この言葉の意味がよくわかります。そして、この言葉が重くのしかかってきます。
私は、読み終わった後、しばらく自分のことを色々と考えました。最近は、多様性や多文化理解のことを教育に生かしていこうと思っていました。
いろいろな文化を持った子どもがいるので、一人一人に子どものことを理解していこうと。
そんな感じで、「多様性を大切にしていこう!」となんとなく考えていた私にとってこの本は衝撃的でした。まず思ったのが、想像力不足であることです。
引用した文の通り、自分の想像できる範囲の多様性であれば受け入れられるけれど、自分が嫌悪感をもったり近寄りがたいものだったりしたときには自然と拒絶してしまう。
そんな経験が思い出せばあります。正直、身近な友達の趣味なども理解できないこともあります。そんな中で、多文化理解ということが成立しうるのでしょうか。
私は、今までの経験の中で「理解できないものは理解できない」と考えています。そして、この本を読んで改めてそう感じました。
でも、想像してみることは大切なのではないでしょうか。多文化理解ではなく多文化想像。相手の気持ちを想像してみる。自分がマイノリティの立場であれば、気安く理解して欲しくないと思います。
でも、形だけでも理解してほしい人もいるかも知れない。だからこそ、相手の気持ちを想像する必要があるのではないかと考えます。
今後、自分が想定しないマイノリティに出会ったとしても、自分のできる限り相手の気持を想像してみたいと思います。
以上が、「正欲」から考える多様性の限界になります。
最後までお読みいただきありがとうございました。