『世界は贈与でできている』から人間関係を考える

タイトルの通り、『世界は贈与でできている』という本を読みました。ココ最近読んだ本で、かなり良かった本です。

なぜかというと、ここ最近読んだ本のまとめのような内容であったからです。東浩紀、クルミドコーヒー、人新世の資本論など自分が最近興味を持った分野がとてもわかりやすくまとめられていました。

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まず、「贈与」という言葉の定義について本書から引用します。

本書では、このような、僕らが必要としているにもかかわらずお金で買うことのできないものおよびその移動を、「贈与」と呼ぶことにします。

『世界は贈与でできている』より

本書の目的は、この贈与とはどんな原理なのかを知り、言語ゲームという哲学を通して大切な人たちと出会い直すことです。

今回は、「贈与」と「言語ゲーム」という2つのキーワードを私の経験を踏まえつつ書きます。これからの人との関わり方を考えるヒントになれば幸いです。

1贈与とは何なのか?

先程、贈与の定義に「お金で買うことができない」とありました。それはどういうことか。例えば、私は以前マグカップをプレゼントしてもらったことがあります。

そのマグカップは自分でも買うことができますが、自分で買うよりも価値が高いと感じてしまいます。自分買ったものであれば、必要なくなったら売ってしまおうかと思いますが、大切な人からのプレゼントではなかなかそうはいきません。

プレゼントされることにより、自分で買うよりも余剰の価値を生み出すわけです。

このことについて、本書から引用します。

重要なのは、「その余剰分を自分自身では買うことができない」という点です。なぜなら、その余剰は誰かから贈られた瞬間に初めてこの世界に立ち現れるものだからです。(中略)だから僕らは、他者から贈与されることでしか、本当に大切なものを手にすることができないのです。

『世界は贈与でできている』より

また、贈与は受け取ることなく開始することはできないそうです。受け取ることなく開始したらそれは贈与ではなく自己犠牲になってしまうそうです。

確かに心当たりはあります。私は大学生の時にボランティアをしていました。きっかけは、友だちに誘われてなんとなく始めました。

やっていくうちに、私自身が様々な人から素敵なものをもらうことで、3年間続けることができたのかなと思います。私の友達で、途中で燃え尽きたり、来なくなったりする人も結構いました。

今思うと、その人は自己犠牲の気持ちを強く感じたからではないかと思います。

また、贈与は他人に知られてはならないという特性があるそうです。他人に知られてしまうと、恩着せがましさがでてくるということです。

確かに、ご飯をごってもらった時に俺がおごってやったんだからね!とあからさまに言われると、お返しをしなくては!と思います。それだと贈与ではなく、交換になってしまいます。

贈与で大切なのは、これは自分に贈られているのだなと想像して受け取るアンテナを張っておくことかなと考えました。そのことについて、本書から以下に引用します。

受取人においては、贈与は過去の中にあるのでした。ですが、もちろん「過去そのもの」はもはや存在しません。だから、そこには想像力が要請されます。贈与は差出人に倫理を要求し、受取人に知性を要求する。これは本書の贈与論にいおいて決定的に重要な主張です。

『世界は贈与でできている』より

この人、この集団と関わることで、これだけのプレゼントを受け取ることができた。私にも何かできることはないかな。と思って行動することが贈与につながっていくのではないかと考えます。

だからこそ、受取人は想像力、知性が必要なのです。

2言語ゲームとは?

この話はとても面白かったです。簡単に言うと、「言葉の意味は、実践でしか説明できない。」ということです。本書では、野球のファールの説明を例に挙げています。ファールの意味だけを説明しても、教えてもらった方はあまりイメージできません。

サッカーのファールとはどう違うのか、余計な混乱を生んでしまう可能性すらあります。

結局意味を理解しているかどうかは、その人の頭の中ではなく行動で判断できます。野球でファールの判定が出たのにヒットだと思って走り続けるのは、意味を理解していませんよね。

人間関係の中で、相手の気持ちがわからないという場面があるのは、相手の言語ゲームがどのようなものかがわからないからです。それぞれの生い立ちや環境によって当たり前ですが言語ゲームは異なってきます。

このことについて本書から以下に引用します。

だから他者理解において僕らがやるべきは、もっと長い期間、一緒にゲームに参加しながら、ゲーム全体を観察して「ファール」の意味を少しずつ学んでいくように、その他者がこれまでの人生の中で営んできた言語ゲームを少しずつ教えてもらいながら、一緒に言語ゲームを作っていくことかもしれません。(中略)他者とともに生きるとは、言語ゲームを一緒に作っていくことなのです。

『世界は贈与でできている』より

この言葉が私にとってとても印象に残りました。このことを踏まえて他人と関わっていきます。

以上が、『世界は贈与でできている』から人間関係を考えるになります。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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