『なぜ戦争をえがくのか』を読んでの感想

今週から夏休みが始まりました。夏休み前最後の仕事の日に、どうしても行きたい場所がありました。それが、「森岡書店」です。森岡書店は、銀座にある書店で一冊の本を一定の期間に展示して売る素敵なお店です。

今回展示していたのは、『なぜ戦争をえがくのか』でした。戦争を、写真や彫刻などのアートの視点から表現するという試みがとても気になりました。

私は、一応中高の地理歴史の教員免許を持っているので、歴史に興味があります。今までは教科書や歴史書を中心として学んできた日本史、近現代史を新たな視点で学べることにわくわくしつつ森岡書店に行きました。

閉店間際に行ったので、私以外にはお客さんはいない状態でした。店主の森岡さんの他に著者の大川さん、編集社の岡田さんがいらっしゃいました。

店内には、大川さんがインタビューしたアーティストの皆さんの作品が展示されていました。様々な作品が、森岡さんの類稀なるセンスで飾られていました。

その時は、失礼ながらどのアーティストの方の存在も知らない状態だったので、なんとなくすごいなあと思っただけでした。本書を読んだ今では、「もう一度観てみたい!」思っております。

今回は、本書を読んだ中で私が印象に残っているインタビューについて書きます。皆さんの参考になれば幸いです。

1土門蘭さん

土門蘭さんは、作家の方です。森岡書店の展示では、「戦争と5人の女」という本がありました。購入してまだ読んではいないのですが、大川さんとのインタビューの文章がとても良かったです。以下に引用します。

いちばん感動したのは、ユウの最後の文章を書いたときです。「わたしたちの小さな暴力は、大きな暴力に包まれていて、そこはなんだか、心地が良い」書き上げてみたときに、この小説で私が書きたかったのはこれなんじゃないかと思いました。ああ書けそうだと思うと同時に、小説って自分の想像のちょっと外にあるんだと思いました。考えていることを書くんじゃなくて、書いてるとそこにたどり着くというか。

『なぜ戦争をえがくのか』より

まだ、土門さんの小説を読んでいませんがこのインタビューを読んで更に読みたくなりました。小説家としての視点も面白かったのですが、「大きな暴力」と「小さな暴力」が気になりました。「大きな暴力」とは、戦争のことですかね。

「小さな暴力」とは、友達間・男女間によるいざこざだと考えています。人間傷つきたくないと思います。しかし、傷つけ合い、それを癒やしていくことが人間なのかなとも考えます。

傷つき、傷つけられることで当たり前だったものが当たり前ではないと気づきます。そういった小さな暴力はいたるところにあり、なくなることはないのではないかと考えます。

2後藤悠樹さん

後藤さんは、写真家の方です。『サハリンを忘れない』という著書を購入したので、これままた感想を書きます。後藤さんのインタビューでは、「代替行為としての表現」の部分が印象に残りました。以下に、引用してみます。

例えば過去に、何かしらできなかったことや後悔していることがあって、その代替行為として表現をやっているんじゃないかと思うことがあります。その代替行為として、料理をする人もいれば、音楽を演奏する人もいる、(中略)人それぞれの、そういう核心的なところを考えながら作品を見ていくと、もうちょっと深く見えるところがあるのかもしれない。

『なぜ戦争をえがくのか』より

作り手の作品をよく観て想像することで、その作品の背景にあるものを感じることができるのではないかということだと解釈しました。

これは、戦争の作品だけではなく他の作品にも言えることです。確かに、作品をじっくり観ていくことで、どんな思いでこの作品を作ったのかということが気になってきます。

何も考えずに作品を作っているという方もいると思いますが、やはり多くの場合何か語りたいもの伝えたいものが背景にあるのではないかと考えます。

また、後藤さんが言うには作品は作り手の願望が表現されているとのことでした。例えば、平和を描いた絵があります。著者は、平和を願っていて今その状況にいないからこそ平和を願って絵を描き続ける。

今まで私は何人かの作家さんと話してその作品を購入してきましたが、どのような気持ちが込められているのかを知りたくなりました。今度なにかの折に聴いてみます。

3畑澤聖悟さん

畑澤さんは、公立の高校教師をしながら作家の仕事もやられている方です。この方の本を購入したのでまた紹介します笑 私が気になったのは「想像の補助線を引く」という部分でした。以下に引用します。

弔いによって死は吸収され、消化される。そうやって人の営みは当たり前のように続いていく。でも、一二〇〇人が一度に死ぬというものすごい暴力が起きたとき、その死は消化されない。消化する胃袋や腸が共に失われているからだ。(中略)ただ、こんな暴力的な、不幸な死でも、演劇ならばひとりひとりの死をすこしは想像させられるというか、少なくとも想像の補助線を引くことはできると思うんです。

『なぜ戦争をえがくのか』より

一二〇〇人が一度に死んでしまうことは想像ができません。それが演劇であれば想像の補助線くらいは引けるのではないかということです。

私は今まで演劇や舞台をあまり観ることはありませんでしたが、これを機に観たくなりました。それだけインパクトのある文章でした。

以上が、『なぜ戦争をえがくのか』を読んでの感想になります。それぞれの作家さんの思いが伝わる、とても素敵なインタビュー集でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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