『戦争と五人の女』読んでの感想

つい先程、『戦争と五人の女』という本を読み終えました。先日ブログで書いた『なぜ戦争をえがくのか』でインタビューを受けていた土門蘭さんの作品です。

『なぜ戦争をえがくのか』を読んでの感想

この夏休みは戦争について学ぼうと思い、まとめて買った本の一つです。この本は、朝鮮戦争の前後を描いた話しで、「ファンタジーとしての従軍慰安婦」だそうです。

テーマは重いのですが、小説として素晴らしい内容でした。読むのが辛くなる所もありました。しかし、伏線を回収する場面があり、後半にいくにつれて先の展開が気になる小説でした。

舞台は、広島県呉市朝日町。歓楽街のなかで傷つけられながらもそれを癒やし続ける物語。大きな暴力の中で小さな暴力を行使する。土門さんはこのことをテーマにしているとのことでした。土門さんのブログの記事を以下に引用します。

女と男、人間というものが、圧倒的な暴力のもとで自らも小さな暴力を行使しながら、どんな生き方を、どんな愛し方を得ようとするのか。そういうことを知りたかった。

このテーマを、自分はおそらくずっと追っている。

なぜなのかはわからない。

傷つき続け癒し続けることが生きていくことだと、心のどこかで思っているのかもしれない。

https://note.com/yorusube/n/n85478415cc35 

小説の内容もさることながら、描写がとてもリアルでした。

私もそうでしたが読むのがきついなと思うこともありました。しかし、人間の本質というか忘れてはいけないことが書いてあるような気がして、今後も事あるごとに読み返したいなと思いました。

私が特に気になった2点についてお話します。

1戦争は女

その数年後、あたしは子どもの手を引きながら、きっと戦争も女だろうと、白い光を見て思っていた。あたしたちは、戦争という女の、つるみたいに巻きつくような腕のなかにいる。

『戦争と五人の女』より

戦争は女であるという表現になるほどなと思いました。戦争を始める上層部の人々はほとんどが男性です。はじめは、戦争という名の女性とうまく付き合って行きますが、付き合いが長引くにつれてうまくいかなくなる。

後悔しても男たちはそれを止められない。そんな戦争の本質をうまく表現しているなと感じました。

戦争は良くないということは分かりきったことですが、一方でこのような男女関係のように戦争はどこでも起こりうることなのだということを考えました。

2ヨンジュ(英子)の生き方

生きるために、からだと心を切り離しているから、何も生み出せずに生きている。それがわたしの罪と罰なのだとしたら、そこをぐるぐるとまわることがわたしの「生」なのでしょうか。

『戦争と五人の女』より

五人の女の中で、ヨンジュ(英子)の生き方に惹きつけられました。ヨンジュは、世津やユウなどの他の女性から尊敬され素敵な女性として登場します。

しかし、ヨンジュは子どもを産めない体であることが分かり、世津やユウなどを陰で陥れます。

表向きは器量の良い女性を演じつつ、裏では自分の本能のままに相手を傷つけようとする。私は、このヨンジュの裏の顔になんだか人間の本質を感じました。

私も同じような経験というか共感することがあります。いい人に見えて陰があるところは人間の本当の姿であり、だからこそよりよく行きたいと思うのではないでしょうか。

より良く生きようとしてもヨンジュは子どもを作ることができない。戦争という大きな暴力も背後にある。その部分は、男性の私が想像しても想像しきれないくらいのことかなと考えます。

このヨンジュが最後にどんな決断をしてどんな事を思ったたかは是非本書を読んで頂けたらと思います。

以上が、『戦争と五人の女』読んでの感想です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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