『断片的なものの社会学』から学んだ3つのこと

今回は、『断片的なものの社会学』という本を読みました。この本は、本屋でなんとなく気になってみて買った本です。とても味わい深い本で、じっくりと風呂に入りながら読みました。

著者の岸政彦さんは社会学者で、沖縄、生活史を研究テーマにしているそうです。様々なジャンルの人にインタビューを行って、語りやそこからの気付きをまとめています。

今までこのジャンルはあまり読んでこなかったのですが、いわゆるマイノリティーの方々のインタビューが多く、考えさせられる内容が多かったです。

様々なインタビューの中で特に私が印象に残ったインタビューについて3つにまとめました。参考になれば幸いです。

1人に話しかけること

人に話しかける、ということは、それ自体はたいしたことでもないようにみえるが、やってみるまではなかなかできそうにもない。やってみたら実は、それはとても簡単だ。だが、できれば、なにかかわいらしいもの、あるいはおいしいものが間に入ったほうがよい。(中略)人と話したいなと思ったら、話をしましょうとお願いせずに、なにか別のことを誘ったほうがよいのだ。

『断片的なものの社会学』より

私も、見ず知らずの人ともう少しカジュアルに接したいということがあります。ですが、なかなか難しいですよね。職場では、仕事ということでなんとかできますが、普段はなかなか厳しいですよね。

しかし、私の行きつけのカフェでは、店主の方にサポートしてもらって今まで様々な出会いがありました。全く知らない人と会話することで新しい道が開けたように思います。

今度はそろそろ店主なしでも自分から話しかけてみようと思っています。どんなアプローチがいいだろうか考えてみました。2つあって一つは、著書に書いてある美味しいものを間に挟む作戦です。

カフェでは美味しいものがたくさんあります。いきなり知らない客に「これ美味しいですよね!」と話しかけるのはレベルが高すぎますよね笑

そこで、まずは店長や店員さんに話しかけその流れでお客さんに自然と話が行くという作戦を考えています。まずは、店主・店員さんとのコミュニケーションを磨いていきます。

2つめの作戦は、娘を行きつけのカフェに連れて行く作戦です。私一人だと話しかけにくいですが、間に娘がいることで話や弾むことが多くなると考えています。

娘も様々な刺激を受けられるし、実際面白いと言っているので一石二鳥だと考えています。

2マジョリティとして

私たちマジョリティは、「国家」をはじめとした、さまざまな防壁によって守られているために、壁について考える必要がない。

そんな、壁によって守られ、「個人」として生きることが可能になっている私たちの心は、壁の外の他者に対するいわれのない恐怖によって支配されている。

だから、この社会にどうしても必要なのは、他者と出会うことの喜びを分かち合うことである。こう書くと、いかにもきれいごとで、どうしようもなく青臭いと思われるかもしれない。

異なる存在とともに生きることの、そのままの価値を素朴に肯定することが、どうしても必要な状況なのである。

『断片的なものの社会学』より

今まで自分はそんなにマジョリティやマイノリティについて意識していなかったのですが、意識しないないことがマジョリティなのかなと本書を読んで感じました。

様々な場面で、人生について思い悩んだり、一人で生きていくのが難しかったりという経験もありません。だからこそ、他者に対して想像力をもって関わっていこうと考えています。

最近は、ホームレスの方々への発言が話題になっています。大切なことは、過度に反応したりせずにそのままの価値を素朴に肯定することだと本書を読んで思いました。

このことは、異なる他者と関わる際に意識していこうと思います。

3天才を生み出すには

さて、「天才」が生まれる社会とは、どのような社会だろうか。それは、自らの人生を差し出すものがとてつもなく多い社会である。ひとりの手塚治虫は、何百万人もの、安定した確実な道を捨ててマンガの世界に自分の人生を捧げるものがいて、はじめて生まれるのである。だから、人生を捨ててなにかにかけるものが多ければ多いほど、そのなかから「天才」が生まれる確率は高くなる。

『断片的なものの社会学』より

最近読んだ本の中で、天才について書かれた本がありました。

「カフェから時代は創られる」読書会の感想

『カフェから時代は創られる』という本です。

この本はピカソやサルトルなどの天才たちは、最初から天才だったのではなく、カフェが持つ場の力によって天才と呼ばれるようになっていくという内容です。

天才が多い社会は良い社会であると筆者は述べています。私もおおよそ賛成ですが、この二十世紀はじめのパリのような場があれば、もう少し高い確率で天才が生まれるのではないかと考えています。

しかし、今は当時のパリと違いますし、コロナ禍で気軽にカフェにも寄れないような生活が続いています。そんな中ではありますが、カフェのような場でオフラインの関わりの必要性が高まっていると感じています。

特に、一般的には無駄だと思われる必要のないことが必要になってきています。

今は、帰宅主義で仕事が終わったらどこにもよらずに家に真っ直ぐ帰る人が多いのではないでしょうか。やるべきことばかりだと私は辛くなってしまいます。

なかなか状況が許さないということもありますが、不必要なことは大切にしていきたいと思います。

以上が、『断片的なものの社会学』から学んだ3つのことになります。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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