『その指導は、しない』を読んで考えた3つのこと

久しぶりに教育書を読みました。『その指導は、しない』というめがね旦那さんが書いた本です。今までの学校教育の当たり前を考え直すきっかけになる刺激的な本です。

共感する部分がとても多く、今後の指導に生かしていきたいと思っています。また、ここまでは同じだけどもここからはちょっと違うかなみたいな自分の距離感を考えるきっかけになりました。

その中でも、2学期から生かしていきたいテーマ3つについて引用しつつ書いていきます。参考になれば幸いです。

1子どもへの課題設定

当たり前ですが、子どもによって計算の能力は大きく異なります。学校という場では「平等」という名のもとで、これらの能力を度外視しているかのような均一の課題設定がされていることがよくあり、子どもを苦しめてしまっている現状があります。子どもたちの力を伸ばしつつ、無理難題を課すことがないように常に課題設定には気を配る必要があります。

『その指導は、しない』より

これは本当にそうだなと思いました。算数ドリルが特にそうですが、20問やら30問の問題をみんなが同じ時間に同じ分量に取り組むのは難しいです。

そして、できない子にとってはこの時間が苦痛な時間帯です。担任として全体を見て指導することも大切ですが、一人ひとりの能力や様子を見て適切に指導することが大切だと考えます

言うのは簡単ですが、実際にやろうとするとかなり疲れます。全体の空気感を感じながら一人ひとりを見ていく。その子を見ているときも、他の子の様子を見ていく。

それをずっとやるのは難しいので、自分の中でメリハリを付ける場所を決めておく。この引用部分を読んで、自分の指導について振り返ってみました。

2ごめんねいいよ指導

二人の児童が喧嘩をしています。話を聞くと、片方が手を出してしまったらしいのです。喧嘩の仲裁をした先生が双方の話をそこそこに「じゃあ、謝りなさい」と言い、加害児童が「ごめんね」と言います。被害児童はそれに対して「いいよ」と言う。これで解決したという指導です。

『その指導は、しない』より

上記の引用が「ごめんねいいよ指導」の本書の定義になります。めがね旦那さんは、その後この指導について補足をつけています。それは、この指導は区切りをつけるためのものであると。

確かに、区切りは必要なときもありますが、確かにそれまでの経緯が子どもの気持ちの入る余地のない形式的なものになってしましますね。

そこで、めがね旦那さんは双方の話をよく聞いてストーリーを確認する方法をとっています。そこで、必要があればストーリーを修正してどうすればよかったを指導するそうです。

私も同じような方法でやっていますが、このやり方だと非常に時間がかかります。特に、トラブルが起きることは休み時間の終わりが非常に多いので、ストーリーの確認をしているときに授業が始まってしまうことがよくあります。

ここで私が大切にしているのは、「トラブルに関係のない子どもたちへの授業時間の確保」です。二人のトラブルの対応を丁寧しているうちに、その他何十人の子どもたちを待たせるのはどうでしょうか。

私がその他の子どもであれば、なんで時間になったのに授業が始まらないんだ。確かに喧嘩について話を聞くことも大切だけど、自分たちのこともよく見てほしい。

1.2回なら我慢できるかもしれませんが、ほぼ毎回やられると教師に不信感をもってしまうのではないでしょうか。だから私は、簡単なストーリーだけ聴いて、あとは休み時間や給食中に対応するようにしています。

そのことで、トラブルがあった子どもとその他の子どもを大切にできるのではと考えています。

3特別支援教育は教育の本丸

しかし、特別支援教育というのは「個別支援」が基本です。個別支援は、言い方は悪いですが全体への「一斉指導」中で「切り捨てざるを得なかった」子どもたちを救うことができるのです。この視点は「通常学級担任」として「一斉指導」をしていると得にくい視点なのです。

「その子どもの『困難さ』を中心に据えて学習課題を設定できる」これはまさに教育の醍醐味であり、「人に教える」ということを体現しているとさえ思っています。このような特別支援教育の実践から我々が学べることが数多くあり、できればすべての先生に特別支援教育に携わって欲しいという僕の願いもここに繋がります。

『その指導は、しない』より

私も5年ほど特別支援学級の担任をしていたので、この意見は「そうだよなあ」と頷きながら読んでいました。子どもの実態によって授業をつくることができるのが特別支援学級の担任です。

私も、この特別支援学級で様々な実践を行ってきたことが、今の子どもたちへの関わりで大きな経験になっていることは間違いないです。

今は通常学級の担任をしていますが、子どもの実態を見て授業のゴールを設定するということは今でも大切にしています。

ただ、特別支援学級のように個別指導は充実させる時間がないのでそこは何だかもどかしく感じてしまいますが。

一人ひとりの子どもがもっている良さを引き出していきたいなと思えたのが、特別支援学級での経験でした。

以上が、『その指導は、しない』を読んで考えた3つのことになります。

最後までお読みいただきありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です