『学びの本質を解きほぐす』から学んだ今後の教育の方向性

今日は教育についての記事です。『学びの本質を解きほぐす』という本を読みました。最近読んだ教育書のなかでは、群を抜いて興味深い内容でした。

この本は、「不登校」「学力」「障害」「道徳」「校則」の5つの章からなっており、特に私が興味をもった3つの章について書いていきます。参考になれば幸いです。

1不登校

しかし、教育機会確保法の検討からみえてきたように、問題は「個人化」されている。これは、今日の教育をめぐる諸問題のほぼすべてについて当てはめられている認識枠組みである。この点は、本書全体を通して問題にしていきたい。

『学びの本質を解きほぐす』より

上の引用は、不登校だけでなく他のテーマにも通じるとても大切な部分です。不登校に関しては、上の引用の教育機会確保法の第2条に「不登校児童生徒」が定義されたことから不登校が「個人化」されてしまいました。

不登校になるのは、個人内に原因があると判断し、学校教育の制度自体には問題意識を向けないという考えです。ならば、学校教育という場にどんな問題意識を向けていけばよいのでしょうか。

著書の中でのポイントとしては、「子どもの権利条約」の中に「子どもには自由に自分の意見を表明する権利がある」と規定された部分があることです。

どうしても、「子どもだから」と上から物を言ったり、対等の関係を築けなかったりすることがあると思います。私も、割と最近まではそのような関わりをしてしまうこともありました。

この本を含め、様々な本を読むことで自分の考えが違うと痛感させられました。子どもも大人も同じ一人の人間とみることから全ては始まるのだなと感じています。

不登校という現象自体が、子どもの意見表明なのだととらえることができるからである。その「意見」をどのように聞き取り、解釈してくのか、そのことに注意を向けていれば、「不登校児童生徒」を定義し、子どもたちに原因を求めるような法律がつくられるはずがない。

『学びの本質を解きほぐす』より

2学力

学力論における「基礎的」という発想は、つねに誰かを苦しめ、社会生活における参加に制限をかける働きをすることになっていることにもっと敏感でもよいのではないか。しかし、問題がつねに個人化されてとらえられているので、仮にその習得が不十分で生活を苦しめられることになったとしても、成績の悪かった自分のせいだと考えてしまう。

『学びの本質を解きほぐす』より

この章を読んで私が考えたことは、基礎基本の学力を重視するのではなく、子ども同士をつなげていき協力できるのような場にしていくべきということです。

なぜなら、基礎基本ができない子どもは、その時点で社会参加にハンデができ、できる子どもとの差が生まれてしまうからです。

本書にも書いてありますが、まず字を読めないと駅できっぷを買うこともできません。更に言うと、今はsuicaや携帯電話での電子決済が主流です。

うまく使えばポイントも貯まりお得ですが、知らない人は知らないままですよね。この場合は、詩を読む識字の能力や情報活用能力の差が生活の差に繋がっています。

社会のシステム自体が「より多くの情報・能力を持つもの」にとってよいものになっていると。確かに、それは必要なことかもしれません。

たくさんのものを得るためには努力も必要です。でも、努力しても結果が出なかったり、そもそもやる気が出ない人もいます。

そういった部分をどのような方法で解決し、社会のシステムを作り上げていくかが今後は必要なのだと考えます。そこで、一つの手立てが個人が緩やかに繋がっていくことだと考えます。

諸個人をバラバラにしていく所有量の競争ではなく、個人を緊密につなげていく連帯がゆるやかに形成されていく学びの姿をイメージしてみたい。

『学びの本質を解きほぐす』より

学校の中で、友達との関わりの中で学びを行うことができれば、知識の量などを競争する必要がなくなると考えます。お互いの良さを認め合い苦手なところを補い合えるような集団であれば、今後の社会を生き抜く事ができるのではないでしょうか。

3障害

1章が不登校、2章が学力、3章が障害です。この章のはじめには、なぜ障害児は通常の教育が受けられずに、特別支援学校、特別支援学級で勉強するのかというところから始まります。

また、特別支援学校や学級には「自立活動」という領域があります。「自立」とは何でしょうか。著者が言うには、いかに多くの「依存先」をもっているかによるとのことです。

だからこそ、より多くの関係を築き、協力していくことが大切とのこと。

それが、インクルージョンという考え方に繋がってきます。

インクルージョンに関する記述をいかに引用します。

このように考えてくると、分類とそれに伴う分離を前提とした社会のあり方とは反対に、関係性を大切にし、人々の連帯によって人権が尊重される社会をいかにしてつくるかが大きな課題となってくる。このような社会を支えるものがインクルージョンという考え方である。

『学びの本質を解きほぐす』より

インクルージョンという考え方をすすめていくためには、特別支援学校などの分類をやめ、個人に対するまなざしではなく、社会のシステムに対するまなざしをもつことが大切だと感じました。

将来的には、特別支援学校や学級がなくなってみんなで学べる教室が作られるといいのになと思っています。そのためにはやはり今の学力によって競争する社会の見直しをするべきではないかと考えます。

競争するのではなく、共生するために他者との関わり方や、頼り方、学び合いを中心とした授業を展開することができるとよいのではないでしょうか。

以上が、『学びの本質を解きほぐす』から学んだ今後の教育の方向性になります。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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