今日も面白い本を紹介します。『CONTEXT DESIGN』という本です。あまり聞き慣れない言葉だと思います。
著者は渡邉康太郎さんと言う方で、「Takram」という会社で「コンテクストデザイナー」という仕事をされているそうです。
まずは、「コンテクストデザイン」とは何かを以下に引用します。
コンテクストデザインは、「con-ともに」「texere編む」デザイン活動である。
コンテクストデザインとは、それに触れた一人ひとりからそれぞれの「ものがたり」が生まれるような「ものづくり」の取り組みや現象を指す。換言するならば、読み手の主体的な関わりと多義的な解釈が表出することを、書き手が意図した創作活動だ。
『CONTEXT DESIGN』より
わかりやすいところで言えば本や映画ですかね。私が最近読んだ本の中に「ペッパーズ・ゴースト」という本があります。
これは、私が本を読んで主体的に解釈してブログという形で表現したものだと考えます。また、最近「ドライブ・マイ・カー」という映画を見ました。
このように、読み手にとって想像の余白をもたせたものをコンテクストデザインと呼ぶのだろうと私は解釈しました。
今回は、本書を読んで私が気になった言葉を3つにまとめてコンテクストデザインを読み解いていきます。みなさんの参考になれば幸いです。
1弱い文脈と強い文脈
強い文脈とは、作品における作者の意図、歴史的な位置づけ、広く認められている読解を指す。(中略)ただそれ故に、個人にとっての特別な意味にはなりにくい。これは「強い文脈の弱さ」だ。
弱い文脈とは、ある個人の解釈や、その作品に結びつけているエピソードを指す。(中略)よって単体ではとても弱く、誤読である可能性も高い。しかし弱い文脈にはそれ故の逆説的な強さがが備わっている。「弱い文脈の強さ」だ。
『CONTEXT DESIGN』より
具体的に言うと、強い文脈とはテレビのコマーシャルや広告など現在のビジネスで価値があるものといわれていることですね。メッセージ性が非常に強く、できるだけ多くの人に伝えきることを目的としたものです。
確かに、大きなビジネスにとってはコマーシャルや広告などで商品をアピールし、利益につなげています。利益を追求するためにはとても大切なことです。
しかし、個人がそのコマーシャルから意味を見出したり、自分の生活を豊かにすることはなかなかないのではないかと思います。それが、「強い文脈の弱さ」ですね。ただ、良いCMもありますよね笑
反対に、弱い文脈は個人の作品の解釈や自分の経験に基づくエピソード、私のブログがそうだと思います。自分の好奇心が求める作品に、自分の体験や感じたことをのせてブログを書く。
自分でも思いますが、非常に「弱い」ですね。ほとんどの人に読まれずにひっとりとそこにある。ただ、今後このブログを続けていくうちに、「弱い文脈の強さ」に気づいてくれる人が現れるのではないかと信じています。
また、引用文にも書いてあるように、誤読の可能性もあります。私がこの本を読んで表現したこの記事は、もしかすると渡邉さんの意図とは違うのかもしれません。でもそれでもいいのだと思います。
ただ読まれなくても、自分の「弱い文脈」は表現し続けたいなと考えています。
2社会彫刻
ヨーゼフ・ボイスはすべての人間は芸術家であるとした。ここでの芸術とは、いわゆる建築、舞踏、音楽、詩、絵画などに限定されるものではなく、拡張された芸術観念で、教育や社会運動なども含む。ボイスは意識的な活動であれば、それが日常茶飯事であっても家事であっても芸術なのであって、そういった行為の積み重ねによって誰もが社会を彫刻しているし、よりよい社会を彫刻せねばならないとした。「社会彫刻」という概念だ。
『CONTEXT DESIGN』より
すべての人間は芸術家である。とてもいいなと思いました。私は、今まで作品を作ったことがなく、芸術に関しては疎かった人間でした。
しかし、このボイスさんの定義によれば私もしらずしらずのうちに芸術家になっていたということですよね。この「社会彫刻」のおかげで自分で自分の価値を再定義することができました。
例えば、わたしの今の仕事も芸術であると思います。むしろ教育を考え想像することこそ芸術なのだと気づきました。
家事からも芸術を見いだせるのも素敵ですね。私も今日は家事で社会彫刻をしていきます笑
コンテクストデザインはこの「社会彫刻」と繋がる部分が多いそうです。社会の一人ひとりはみんな表現者であると。その社会彫刻を他者が弱い文脈として読み取り、自身の社会彫刻へとつなげていく。
今私は、子どもの作品を展示する展覧会の構想を考えているのですが、できるだけ鑑賞者の社会彫刻へとつながるような展示を考えていきたいです。
それが、コンテクストデザインなのだと思います。
3森岡書店
コンテクストデザインの実践例として、著者の方は「森岡書店」を挙げています。森岡書店は私も何度も通ったことがあり、店主の森岡さんともお話をしたこともあります。
銀座の落ち着いた場所にある、1冊の本だけを扱っている本屋さんです。本当に一冊の本しかないのですが、かえってそのことがより本の世界に深く沈み込むことができます。
本書では、森岡書店は2つの誤読があったと述べています。そのことを以下に引用します。
彼は社会を誤読した。このとき彼は、社会が書いたシナリオの読み手であった。それに抗うように、独立・起業といった孤独な旅に出る。これが第一の誤読だ。(中略)
ひとたび書店という作品が世に放たれると、来客があり、その来客は書店という作品の「読み手」となる。このあらたな読み手は、自分なりの作法で本や書店を解釈し、自身に引き寄せて読み解いてくれる。これが二度目の誤読だ。
社会は、二度(以上)の誤読を経て豊かになる。
『CONTEXT DESIGN』より
社会を誤読するということは、今の社会に疑問を呈すことです。今現在、書店業界は存続の危機になると考えています。Amazonのようなオンラインで多くのジャンルの在庫を抱えている書店には個人では太刀打ちできません。
ですが、森岡さんはそんな社会は違うのではないかと社会を誤読しました。1冊の本にたまたま出会い、底から始まるなにかがあるからこそ、森岡書店を作ったのだと思います。
私も、森岡書店に行ったときに森岡さんの強い文脈に惹きつけられ、自身の弱い文脈をつくることが何度かありました。
そのような経験ができることは本当に素敵なことだと思っています。私もいつかはそんなお店が作れるように、コンテクストデザインを学んで自分のものにしていきます。
以上が、『CONTEXT DESIGN』コンテクストデザインを読み解く3つの言葉になります。最後までお読みいただきありがとうございました。