本日は、本の紹介です。ここ1ヶ月でかなりの本を読みました。ただ、インプット中心でアウトプットをまったくしてこなかったので、この冬休み中はブログを書き続けます。
やはりアウトプットしないとほとんど頭から抜けてしまいますね。自分の備忘録のためにも、ブログに残していきます。今回読んだ本は、苫野一徳さんの『はじめての哲学的思考』という本です。
苫野さんの本を読んで、自分の教育哲学がかなり変わりました。そして、哲学という分野に更に興味がわきました。
今回は、本書から自分が特に印象に残った3点についてまとめていきます。皆様の参考になれば幸いです。
1超ディベート
ディベートというと、「体罰はありかなしか」「死刑制度に賛成か反対か」など2択の選択肢のどちらかの立場に立ち意見を戦わせることをイメージします。最近では、2ちゃんねるを生みの親ひろゆきさんがディベートで相手を論破していくYOUTUBE配信が結構な再生数になっています。
本書の超ディベートは、意見を戦わせることをやめて、対話を通してみんなの共通了解をとるやり方です。超ディベートの流れについて下記に引用します。
①対立する意見の底にある、それぞれの「欲望・関心」を自覚的にさかのぼり明らかにする。
②お互いに納得できる「共通関心」を見出す。
③この「共通関心」を満たしうる、建設的な第三のアイデアを考え合う。
『はじめての哲学的思考』より
簡単には書いてありますが、初めて聞く方は少し意味がわかりにくいかと思います。例えば、教育に対するテーマで考えてみます。本書でも書かれている例です。
学校現場では、「子どもたちを集団で統率することに重きを置く先生」と「子供の自主性や自由に重きを置く先生」でしばしば対立することがあるんじゃないかと思っています。
でも、どちらが正しくて間違っているかを話し合ってもお互いを否定してしまうことになり辛くなってしまいます。私個人は、どちらかではなくバランスが重要だと思っています。
そのバランスをみんなで話し合うことで、子どもたちにより良い指導ができるのではないでしょうか。
「欲望・関心」の件で少し補足すると、例えば「子どもたちを集団で統率することに重きを置く」先生の欲望を考えてみます。過去に子どもを自由にさせすぎて学級崩壊をした経験があるので、統率したい欲望があるのかもしれません。
逆に、「子供の自主性」を重んじる先生は、自分が子ども時代に集団に馴染めず一人で自由に過ごすことが好きだったために、自由にさせたいという思いがあるのかもしれません。
そういった自分の欲望を見つめ、組織で共有することが超ディベートの第一歩になります。
むしろそこができれば、対話したいテーマに焦点を当てて妥協点を探すのではなくより良い答えを導き出すことができると考えます。私も職場でやってみたいと思います。
2「不幸とは欲望と能力のギャップである」
これは、先程話した「欲望」の続きです。「不幸とは欲望と能力のギャップである」という言葉を残したのは「エミール」を書いたルソーだそうです。
お金持ちになりたい、ロレックスのデイトナがほしい、可愛い彼女がほしいなど人の欲望には限りがありません。しかし、その欲望を叶えるための能力がないと幸せにはなれない。非常にわかりやすい考えです。
著者はこの不幸から逃れる方法が3つあると述べています。以下に引用します。
一つはいうまでもなく「能力を上げる」こと。努力に努力を重ねて、お金持ちになる能力を身につける。
そこで二つ目の道は、「欲望を下げる」こととなる。そんなに望ましいことではないかもしれないけど、欲望と能力のギャップがなくなれば、ひとまず飛行からは逃れることができる。
そして最後に、もしかしたらこれこそが不幸から逃れるための一番役に立つ考えなんじゃないかという道がある。「欲望を変える」という道がそれだ。
『はじめての哲学的思考』より
非常にシンプルな考え方ですが、頭の片隅に置いておくといざという時に役に立つかもしれません。
3「事実から当為は直接導けない」
この言葉は最近私が読んでいる本に度々出てきているので、とても重要なんじゃないかと思っています。初めて聞いた方は「なんじゃそりゃ!」と思っているでしょう。
まずは、「当為」というのは「〜すべし」ということで、「事実」から「〜すべし」を決めつけてはいけないということです。例えば、「発達障害の子どもが年々増えている。だから、早いうちにに障害を見つけて薬を飲ませるべき」というもの。この「事実」と「当為」には論理的なつながりは全くありませんよね。
これは、この発言をした人の欲望そのものであり、事実を都合よく解釈しているに過ぎません。でも、意識していないと割とこのような考えに陥ることがあるので要注意です。
それでは、「〜すべし」を導くにはどうすればよいのでしょうか。著者の考えを以下に引用してみます。
でも、僕たちが当為を導くにあたって本当に考えるべきなのは、それぞれの欲望を互いに投げかけ合い、そしてその上で、できるだけみんなが納得できる「べし」を見出し合うことなのだ。
絶対的な当為なんてない。だからこそ僕たちは、右のような対話を通して、共通了解可能な当為を見出しつづける必要があるのだ。
『はじめての哲学的思考』より
やはり、超ディベートのようなみんなが合意できる答えを探す対話が大切なのだとわかります。
このことを応用して、「なぜ人を殺してはいけないのか?」「死刑制度はどうなのか?」を考えることができます。
ポイントは、「自由の相互承認」です。この原理があるからこそ人を殺してはいけないし、死刑制度は廃止するべきだと著者は述べています。
詳しくはまた別に記事に書きます。
以上が、『はじめての哲学的思考』頭の片隅に置きたい3つの考えになります。
最後までお読みいただきありがとうございました。