今回は、道徳の本です。学校教育の中の道徳とは違い、今までの価値観を更新するような面白い内容がてんこ盛りの本でした。特に私が印象に残ったことを3点、書いていきます。皆様の参考になれば幸いです。
結論から言うと、21世紀の道徳は「感情」と「理性」のどちらも大切にしていくべきということです。道徳というと、なんとなく「あたたかさ」や「感情」のイメージがありますが、本書は「つめたさ」にやや重きを置いていると感じます。
1動物への差別について
著者は、動物倫理の研究を行っているそうです。なので、この動物への差別という内容が一番伝えたいことなのかなと思いました。
動物への差別とは?例えば、わかりやすいもので言えば、以下の例があります。
「クジラやイルカは高度な知能を備えた動物であるから殺してはならない」という主張に対して、「ブタやウシは知能が低いから殺してもいいが、クジラやイルカは知能が高いから殺してはいけないというのは、知能に基づく差別だ」という反論がおこなわれることもある。
『21世紀の道徳』より
他にも、ビーガンを主張している人に対して、「動物を命を奪うことはだめなのに、植物の命は奪ってもいいのか。それは差別なのではないか」といった主張もあります。
この「差別」という言葉に対し、著者は以下のように考えています。
しかし、ここはあえてシンプルに言い切ってしまおう。差別とは、「不合理な区別」、あるいは「正当な理由をもたない区別」だ。逆に言えば、合理的な区別や正当な理由をもつ区別は差別ではなく、ただの区別である。
たとえば、現代の日本社会では、日本国籍を持ち18歳以上である人ならだれもが選挙権を持つことができるとされている。
国籍に関する条件はともかく、「18歳以上」という条件については、大半の人々が合理的で正当だと考えるだろう。17歳や16歳が選挙権を持たないことに関しては問題であると主張する人もいるかもしれないが、5歳の子どもが選挙権を持たないことまでをも非合理で不当であると考える人は、ほとんどいない。
『21世紀の道徳』より
非常にわかりやすい例だと思います。
この基準に沿って動物倫理を考えると、動物を苦しめたり屠殺したりすることは種差別であるとのことです。
特に大事なことは、痛みを感じるか否かということ。確かに、植物は痛みに対して苦痛を訴えることはなく、牛や豚が苦しんでいる様子を見ると、そうなのかな?と思ってしまいます。魚はどうなのでしょうか?
私はビーガンでもないし、普通に焼き肉や焼き鳥も食べたいなという人間です。しかし、この文章を読んで少し動物倫理について考えるきっかけになりました。あと10年もしたら肉を当たり前に食べる文化はなくなるんでしょうかねえ。
なんて思いながらこの本を読んでいました。
2功利主義
「人権が侵害されている」こんなことをよく聞くことがります。しかし、本書ではあまり権利という言葉を使わないほうがいいかもしれないと述べています。
例えば、政府から弾圧を受けている人々にとっては「人権が侵害されている」という表現が正しいのかもしれません。しかし、「コロナだからといってマスクをつけるのを強要するのは人権侵害だ」というのは少し違うのではないかということです。
マスクの例で言うと、「マスクを着けない権利」と「コロナにかからずに健康に生きる権利」がぶつかることになります。このように互いの権利を主張し合う場合には、権利という言葉があまり意味をなさなくなるそうです。
そこで、この対立する考えの解決策が、最大多数の最大幸福である「功利主義」という考え方です。この功利主義に対する批判は数あれど、今現在では最善の方法なのではないと筆者は述べています。
先程のマスクの件で考えてみると、「マスクを着けないことの幸福」よりも「マスクを着けてみんなが健康に生きられる幸福」を選択しているからこそ、ほとんどの人がマスクを着けているのだなと思いました。
3道徳的フリン効果と物語的想像力
道徳的不倫効果?という方が多いと思いますので、以下に定義のようなものを引用します。
こうした嘆きと裏腹に、時代とともに人間の知能(IQ)が上昇しており、「前の世代」(たとえば、1940年生まれ」)より「若い世代(たとえば、1970年生まれ)」のほうが、同じ年齢を比較しても、知能、特に抽象的な思考能力が高くなっている、という研究がある。
この現象は、ニュージーランドの教育学研究者であるジェームズ・フリン教授が先進国の研究から発見したもので、「フリン効果」として知られている。しかし、そのメカニズムまではわかっていない。栄養状態の改善、様々な技術革新、グローバル化の進展により子どもの巡る環境の変化が、子どもの知能に影響を与えた可能性もある。そして、この向上した抽象的な思考能力により、若い世代は、自分とまったく違う境遇にある人の困難を想像でき、価値観の多様性や利他的な感情が高まるのではないか、というフリン効果の道徳的な効果、「道徳的フリン効果」への期待を持つ人もいる。
https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=11406
簡単に言うと、人々は年々IQ値が高くなってきた。特に抽象的思考のところが。だからこそ、他者のことを考えることができるようになるのではないか。ということ。
これと、もう一つ。物語的想像力。これは、「相手の気持を考えてみましょう」など、他者の感情を自分事として考えることです。
似ているようで、微妙に違います。抽象的に考えることと、共感や想像。最終的にどうするか。著者の考えを以下に引用します。
ヌスバウムが言うように、黄金律を実践するためには抽象的な思考と物語的想像力のどちらもが不可欠だ。もしかしたら、理性的な判断をくだすことと共感をしたり想像をしたりすることを二項対立で論じること自体が間違っているのかもしれない。共感や想像をおこなうことには、理性をはたらかすときのように抽象的な物事を対象にしたり原理やルールを重視したりすることはないといえども、ある種の思考がふくまれているからだ。
『21世紀の道徳』より
結局二項対立で考えないほうが良いのかもしれません。わかりやすくするためには、二項対立が有効です。しかし、どちらかではなく、どちらも大事なので結局はバランスですね。
問い方を変えるのも大切かもしれません。そうしたらもっと建設的な対話になるのではないかと考えました。
ということで、以上が『21世紀の道徳』から学んだ2つのことになります。
最後までお読みいただきありがとうございました。