『コロナ後の世界』ウイルスという非常時と付き合っていく方法

内田樹さんの本を読みました。2022年アフターコロナで世界は、日本はどうなっていくのか。そんなことが気になって本書を読みました。

ちなみに以前に内田さんの本をブログに書いたので、よろしければお読みください。

『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』とベーシックインカムについて

今回は、本書を読んで特に私が共感したのは、アフターコロナの中でウイルスとどう向き合っていくかということ。マスクやソーシャルディスタンスは今後どうなるのか、この本で得たことを参考に思考を続けていきます。皆さんの参考になれば幸いです。

非常時と正常性バイアス

正常性バイアスとは、簡単にいうと平時の判断基準を非常時にも持ち込むことを言うそうです。本書の例でいうと、以下の通りです。

東日本大震災でも、大川小学校で下校準備中に地震が起き、児童たちは校庭に避難した。一部の児童は教師の指示に逆らって自主的に避難行動をとって生き延びたが、ふだん通り教師の指示に従って斉一的な行動をとった児童たちは溺死した。

『コロナ後の世界』より

この正常性バイアスを解除すると言うのは非常に難しいなと思っています。日々同じような生活パターンで生きていくことが楽だからです。

常に非常時のことを意識して生活することは息苦しさもあるのではないでしょうか。しかし、その正常性バイアスを認知して必要に応じて解除することを意識していないと、非常時には対応できないなと感じました。

コロナ対策にも同じことが言えると思います。「コロナは風邪とあまり変わらない」「周りの人がコロナになっていないからマスクはつけなくても大丈夫」このような考えは正常性バイアスを非常時に持ち込んでいる思考になります。

となると、どのように正常性バイアスを解除していくのかが気になります。著者の内田さんの考えを以下に引用します。

正常性バイアスの解除とはいたずらに怖がることではなく、自分が見ているものだけから今何が起きているかを判断しないこと、自分が現認したものの客観性・一般性を過大評価せず、複数の視点から寄せられる情報を総合して、今起きていることを立体視することである。

非常時というのは「自分以外の視点からの情報の取り込みを一気に増大させないと、何が起きているかよくわからない状況」のことである。だが、日常的に「自分以外の視点からの情報の取り込み」を行っている人にとっては、これは「スイッチの切り替え」というよりは、「ヴォリュームを少し大きくする」くらいのカジュアルな動作にすぎない。ということは、日常的に「他者の視点」から目の前の現実を眺めることに慣れている人間が最も非常時対応に適しているということになる。

『コロナ後の世界』より

確かに、平常時では主観で判断することが多いですよね。欲望に忠実というか。「ラーメンが食べたい」「映画に行きたい」「海外旅行に行きたい」などなど自分の主観で行動することが多いのではないでしょうか。

しかし、非常時では主観のみで行動するとめちゃくちゃになります。ですが、ただ自粛してずっと家にこもるというのも違うような気がします。

そこで必要なのが、引用にも書いてあるとおり「自分以外の視点からの情報の取り込み」です。

「自分のまわりではコロナに罹っている人がいないからもうマスクは外してもいいかな」ではなく、じゃあ他の県はどうだろう、他の国ではどうだろうと多角的に情報を集めて分析することが大切だと考えます。

情報収集の方法はたくさんあります。例えば、コロナについては家族も含め様々な人と話題に出して話してみる。TwitterなどのSNSを活用するもの有効です。

youtube動画も様々な視点を得るという意味では良いと思います。本を読んだり雑誌を読んだりすることも、他者の視点を把握する上では必要なことになります。

大切なのは、これらの他者の様々な視点に触れるということを日常的に行なっているかどうかだと思います。自分の中だけに判断基準をもつのではなく、様々な意見に触れた上で自分で判断していく。

当たり前のように感じるかもしれませんが、これができると良いなと思います。情報収集をするにも、ついつい自分に都合の良い情報のみを集めてしまいがちです。

情報収集が限定的にならないようにするために、様々な人と価値感に自ら触れていこうと思いました。そして、その際に自分の想像力をフルに働かせて他者の視点を得ていきます。

以上が、『コロナ後の世界』ウイルスという非常時と付き合っていく方法になります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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