ブレイディーみかこさんの「エンパシー」について

今回は、ブレイディーみかこさんの本を読みました。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』と『他者の靴を履く』の2冊です。

この本を読んで、最近考えていたことが繋がった気がします。それは、前回ブログに書いた内田さんの本との繋がりです。前回のブログのリンクを貼っておきますのでよろしければお読みください。

『コロナ後の世界』ウイルスという非常時と付き合っていく方法

コロナ後の社会では、正常性バイアスという日常の思考からいかに非常時への思考に切り替えられるかが重要だと内田さんは述べています。

非常時の思考に切り替える際に大切なのが、「日常的に他者の視点から目の前の現実を眺めることに慣れる」ということも書いてありました。

これはまさに、今回読んだブレイディーみかこさんの「エンパシー」の技能を高めるという話につながってきます。なので、今回の2冊を読んだときに、「つながった!」と一人で感動しました笑

これらの本は、冬休み期間に色々と読んでみようと割とランダムに選んだはずなので、びっくりしています。(もしかしたら、Amazonのおすすめ機能のおかげかもしれませんが)

今回は、2冊の本からエンパシーとは何か、どのようにして高めていくかについて、引用を交えながら書いていきます。皆さんの参考になれば幸いです。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

まずは、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』です。言わずと知れた大ベストセラーですね。むしろ読むのがかなり遅くなってしまいましたが、タイミング的には最高です。

この本は、ノンフィクションであり読み物としてかなり面白かったです。そして、今私が気になっている多様性について考えさせられるところが多く、非常に勉強になりました。

その中で、今回のブログのテーマである「エンパシー」についての部分を以下に引用します。

「めっちゃ簡単。期末試験の最初の問題が『エンパシーとは何か』だった。で、次が「子どもの権利を三つ挙げよ』っていうやつ。全部そんな感じで楽勝だったから、余裕で満点取れたもん」

得意そうに言っている息子の脇で、配偶者が言った。

「ええっ。いきなり『エンパシーとは何か』とか言われても俺はわからねえぞ。それ、めっちゃディープっていうか、難しくね❓で、お前何て答えを書いたんだ❓」

「自分で誰かの靴を履いてみること、って書いた」

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』より

イギリスでは、このようなことがテストに出て、でもそれが簡単に答えられるということに驚きです。「エンパシー」という言葉は、「共感」と訳されることが多いそうなのですが、本書の引用にもある「自分で誰かの靴を履いてみること」が個人的にはしっくりきました。

おそらくここの部分が、次に紹介する『他者の靴を履く』に繋がってくるのだと思います。

『他者の靴を履く』

『他者の靴を履く』は、「エンパシー」について深く掘り下げた本になります。

先ほど読み終わりましたが、非常に読み応えがあって面白い本でした。今後も何度も読み直して理解を深めたいなと思わせる素敵な本です。

「エンパシー」とにている言葉に「シンパシー」があります。どちらかというと、シンパシーという言葉の方が聞き馴染みのある言葉かと思います。はじめに、この2つの言葉の比較を引用することで「シンパシー」の意味を考えてみます。

つまり、シンパシーはかわいそうだと思う相手や共鳴する相手に対する心の動きや理解やそれに基づく行動であり、エンパシーは別にかわいそうだとも思わない相手や必ずしも同じ意見を持っていない相手に対して、その人の立場だったら自分はどうだろうと想像してみる知的作業と言える。

『他者の靴を履く』より

私の理解では、「エンパシー」はどちらかというと技能なのだと思っています。なので、訓練次第ではエンパシーを高めることができます。

また本書のサブタイトルは、「アナーキック・エンパシーのすすめ」となっています。この「アナーキー」というのがこの本のキーワードになってきます。

「アナーキー」というのは、直訳すると無政府、無秩序のことを指しますが、本書では「相互扶助」という意味を強調しています。

著者は、コロナ禍でイギリスの人々が自分の欲求で助け合っている姿を見て、これはアナキズムであると感じたそうです。けっして道徳的に助けなければという気持ちで助けたわけではありません。

この「自らの欲求で相互扶助を行う」アナキズムがエンパシーと結びつかなくてはならないと言っています。なぜか。それは、エンパシーだけだと、エンパシーの闇落ちが始まるからだそうです。

エンパシーには、相手の視点を共有することで自分という軸がなくなり他者に依存してしまったり、他人の都合に合わせすぎてしまったりする負の面があるそうです。

そうならないために、エンパしーとアナキズムを結びつけなくてはならないと著者は強く主張しています。

ブレイディーみかこさんは、「おわりに」で文化人類学者のデイビット・グレーバーさんの言葉を引用しながらアナーキックエンパシーに必要な「穏当さ」について以下のように語っています。

むしろわたしたちは多様性というカオス(混沌)を恐れず、自分の靴を履いてその中を歩いていけと彼は言っているのだ。ときに自分の靴を脱いで他者の靴を履くことで自分の無知に気づき、これまで知らなかった視点を獲得しながら、足元にブランケットを広げて他者と話し合い、そのとき、そのときで困難な状況に折り合いをつけながら進む。

「理解できないことがあっても、どのみちそれを考慮に入れなくてはいけない、ということを受け入れること」そこまでが「穏当さ」に含まれるとグレーバーは言った。

『他者の靴を履く』より

基本的には、自分の欲求で行動することを忘れてはならない。だが、他者の気持ちを想像することで自分の価値観が広がる。そういった中で、他者との対話を続けて折り合いをつけながら生きていく。その中で、理解できないこともあるが、それを受け入れることが穏当さであり合理的ばかりでは生きていけない。

私の解釈では、以上のような感じになります。他者の靴を履くということは時には、大変だなと思うことがあります。しかし、自分が自由に生きるためには、他者の靴を履くことも必要なのかなと考えました。

以上が、ブレイディーみかこさんの「エンパシー」についてになります。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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