『正義の教室』から様々な正義を考える

久しぶりに本の紹介です。最近はまた哲学の本にハマっていて、初めは分からなかった哲学者が様々な本を読んでいくうちに繋がってくるのに快感を覚えています笑

今日は、『正義の教室』という本を紹介します。この本は飲茶さんという方の本で、以前のブログでも何冊か取り上げていますのでよろしければお読みください。

『「最強!」のニーチェ入門』からニーチェの思想を学ぶ

3人の哲学者から学ぶ、日常生活に活かす哲学

皆さんは正義についてどんなことを考えますか。正しさとはどんな状態なのか。どんな状況でも正しいと思えるということはあるのか。

そんな問いに、様々な正義の哲学の視点から思考することの大切さを教えてくれる本です。この本はだいぶ前に読んだのですが、他の本を読んでこの本のことを思い出し、二回目の読書になります。

ちなみに、この本は学園モノの小説風になっていて、まずストーリーが面白いです。ストーリーを楽しみながら、哲学も学べるという非常に良き本です。ただ、話のオチに関しては賛否両論あるかと思いますが、私は純粋に「そうきたか!」と楽しめました笑

気になる方は、是非とも本書を読んでみてください。

今回は、本書を読んで4つの正義の特徴とそれについて感じたことをまとめてみます。皆様の参考になれば幸いです。

1功利主義 〜最大多数の最大幸福〜

平等の正義といえば、功利主義だそうです。功利主義とは、最大多数の最大幸福という言葉が有名ですが、本書で言うとハッピーポイントの総量が多ければ多いほどいいじゃん!と言うことです。

本書の例で言えば、3人の人がいて一つのおにぎりを分け合うとします。3人のうち、2人はほぼ満腹の状態ですが、1人は空腹の状態です。

均等に分けてしまうと、空腹の人があまり食べられず、満腹の人はそんなにお腹が空いていないのに多めに食べてしまうことになります。

そこで、ベンサムの提案する功利主義の出番です。功利主義では、空腹の人に多めにおにぎりを分けることが真の平等だといています。

確かに、空腹の人におにぎりを分けてあげたほうが、トータルのハッピーポイントも高そうです。しかし、この功利主義にはいくつか問題点があるそうです。問題を簡単にまとめた部分について以下に引用します。

結局、功利主義の問題点はそこなのだろう。ひとつは、功利主義から導き出される結論が、僕たちの感性とはまったく違ったものになる可能性があるということ。そして、もうひとつは、その感性に合わないことが正義の名のもとに強制的に押しつけられてしまう可能性があるということ。

『正義の教室』より

例えば、近い未来マトリックスのような脳を操作して仮想現実の中で快感を得るような生活がくるかもしれません。しかし、それは本当に幸せなのかと言う問題が付きまといます。

結局、何が快感なのかは人によって違うので、「これが幸せだ!」と強権的に言われても「いや、ちょと違う・・」という事態に陥ることになるかと考えます。バリバリの主観的意見が多くなるのも功利主義なら当然かなと思います。

なので、「これが正しいよね!」とどちらかというと強制するような正義が功利主義の正義だと解釈しました。

2自由主義〜弱い自由主義と強い自由主義〜

次は、自由の正義「自由主義」です。本書のオリジナルの表現として、「強い自由主義」と「弱い自由主義」があります。ここでの自由主義は「強い自由主義」です。強い自由主義とは、以下の合言葉があるそうです。

『自由にやれ、ただし、他人の自由を侵害しないかぎりにおいて』

この言葉からわかるように、「強い自由主義」とは何よりも自由を優先する自由主義のことのようです。逆に、「弱い自由主義」は自由よりも幸福を追求するので、どちらかというと功利主義者のスタンスだそうです。

私は、どちらかというとこのスタンスに賛成の立場です。ただ、他人に迷惑をかけなければなんでもやっていいというところは少し疑問が残ることがあり、多少他人に制限をかけてもすべきことはあるのではないかとは思っています。

ただ、その制限する範囲をできるだけ狭くしていきたいなと考えております。

本書では、自由主義の最後にロールズという哲学者の「無知のヴェール 」という思考実験を行っています。「無知のヴェール 」について以下に引用します。

「無知のベール」とは、自身の位置や立場について全く知らずにいる状態を意味する。 一般的な状況はすべて知っているが、自身の出身・背景、家族関係、社会的な位置、財産の状態などについては知らない、という仮定である。 自身の利益に基づいて選ぶのを防ぐための装置だ。 それを通じて、社会全体の利益に向けた正義の原則を見いだせるようになる。

http://note.masm.jp/%CC%B5%C3%CE%A4%CE%A5%F4%A5%A7%A1%BC%A5%EB/

簡単にいうと、何も知らない状況で様々なことを判断すると、結果的に全ての人が幸せになれるのではないかということです。

この「無知のヴェール 」の思考実験を通して、先ほど私が申し上げた「多少他人に制限をかけてもすべきことはあるのではないか」ということを炙り出したのではないかと解釈しました。

3直観主義〜絶対主義と相対主義〜

最後は、宗教の正義である直観主義についてです。まずは、宗教の正義とは何か、該当する部分について以下に引用します。

私は、『物質または理性を超えたところにある何かを信じていること』、それが宗教的であることの唯一の条件であり、その一点によって、宗教的かどうかの是非を見分けるべきであると考えている」

『正義の教室』より

これはわかりやすいなと思いました。これは正しいのだから正しいに決まっている。そんな絶対的なものを信じるということが絶対主義であり直感主義なのかと考えました。

この直感主義を後押しするような形で、ヒュームの法則というものがあります。「 AはBである」から「AはBすべき」を導くことはできない、というシンプルな法則です。

主人公は、このヒュームの法則を当てはめたら功利主義や自由主義など今まで話した正義の意味がなくなってしまうと嘆いています。確かに。

そこから、重要な登場人物である倫理の先生の講義が始まります。内容は哲学の歴史。まずは「絶対的に正しいものはこの世にある!」と考えたソクラテスの絶対主義から始まり、「神は死んだ!」でおなじみのニーチェに繋がっていきます。

哲学の歴史は、絶対主義に始まり、相対主義で落ち着いている状態なのだとか。私は完全に解釈してはいませんが、そんなイメージを持ちました。確かに常に絶対的なものを求めるのは今現在では難しいですよね。

しかし、私が最近読んだ本に書いてあったのは、「今は相対主義でなんでも相対化されてしまうようになった。でも、みんなで共通了解をとって少しでも皆が納得できるような解を見出すことはできるのではないか」ということ。

この本は、次のブログで紹介しようと考えています。お楽しみに。

4構造主義・ポスト構造主義

最後に、構造主義についてです。構造主義とは何か❓以下に引用します。

『人間は、自分の意志で考えて行動しているように見えて、実は、周囲の環境や役割や立場によって、無意識にその考えや行動が決定づけられている』

『正義の教室』より

結局人間はシステムの奴隷になっているということですかね❓言い過ぎですかね。結局、構造主義に代わる哲学がなかったためにポスト構造主義が出てきたということです。このポスト構造主義の代表的な哲学者としてミシェル・フーコーが挙げられます。

フーコーの考え方について以下に引用します。

「さて、そんなフーコーは、構造主義以降の哲学者のひとりとして、人間がどのような構造(システム)に支配されているかの研究を進めていた。その成果のひとつとして発表されたのが、有名な哲学書「『監獄の誕生』である

『正義の教室』より

監獄では、常に監視されています。他者からの視点を常に意識することで自分の行動を矯正することができるのだと主張しています。

本書の例で言えば、宿題をやらない子に対して「宿題をやっていないやつはみんなからヤバいやつだと思われると信じ込ませる」こうすることで他者の視点を意識させて行動を矯正する。

広い目で見ればこのような社会になりつつあるのではないかと思います。フーコーは『私たちは、ベンサムの設計した刑務所、パノプティコンの中で生きている』と言っているそうです。

パノプティコン・システムとは本書の中でもキーワードとなっています。

パノプティコンは、円形に配置された収容者の個室が多層式看守塔に面するよう設計されており、ブラインドなどによって、収容者たちにはお互いの姿や看守が見えなかった一方で、看守はその位置からすべての収容者を監視することができた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8E%E3%83%97%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B3%E3%83%B3

マジックミラーのようなものですかね。だから収容者は、看守が見ているのかどうかもわからない。これは恐怖ですね。ちなみに著者はSNSの発達により、「監視社会」から「相互監視社会」になっていると。

確かに、ちょっとでもおかしな行動をするとSNSですぐに晒されて炎上するといったことは割と日常茶飯事感があります。そんな言いたいことも言えないこんな世の中でそうすれば良いのか。

本書では、自分が正しいと思ったことが正しいという締めくくりになっていると思います。私は、そこから一歩進んで自分だけではなく他者との対話で正しさを考えていけると良いなと考えました。

しかし、本当にこの本は読みやすく正義について考えること、さまざまな哲学者の考えに触れられたこと多くの学びが得られる本でした。是非に読んでいただきたいと思います。

以上が、『正義の教室』から様々な正義を考えるになります。最後までお読みいただきありがとうございました。

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