久しぶりのブログ執筆です。最近は、インプットは捗っていますが、アウトプットが全然できていないので、また更新頻度をあげていきます。
本日は、『〈叱る依存〉がとまらない』という本です。まず読む前に感じたことは、表紙のデザインがおしゃれで目を引くものであるということ。
私は、ネットで購入したのですが本屋さんに置いてあったらかなりの確率で手に取ってしまうだろう魅力があります。気になった方はぜひ調べてみてください。「叱る依存」というタイトルもなかなかキャッチーで私の好奇心に火をつけました笑
さて、内容ですが私が今まで学校教育で行ってきた教育実践に近いものがあるなと感じています。その実践を文章で具体的に示しているので最初読んだ時は非常に感動しました。
私は、本書を読んで叱る依存に陥らないためには「予測力」「未学習と誤学習」「自己決定」「メタ認知」の4つの理解と意識が重要だと考えました。
4つのポイントについて書く前に、基本的なことを書いてきます。
まずは、「叱る」ということの定義を見ていきたいと思います。似たような言葉で「怒る」「注意する」「諭す」などがありますが、人によって捉え方が変わるので、本書の「叱る」の定義を以下に引用します。
言葉を用いてネガティブな感情体験(恐怖、不安、苦痛、悲しみなど)を与えることで、相手の行動や認識の変化を引き起こし、思うようにコントロールしようとする行為
『〈叱る依存〉がとまらない』より
ポイントとしては、「ネガティブな感情を与えることで、相手をコントロールする」ということだそうです。この定義で言えば、「大声で怒鳴る」というわかりやすいものだけではなく「これはあなたのために言ってるのよ」と余計なお世話だ馬鹿野郎風のアドバイスもマズイなということになってきます。
この本の魅力の一つが、脳科学的な視点から叱る行為を分析していることです。叱ることへのネガティブ感情は脳に一体どのような影響を与えるのか。以下に引用します。
ところが近年の研究では、扁桃体が過度に活性化するようなストレス状況は、知的な活動に重要だと考えられている脳の部位(前頭前野)の活動を大きく低下させることが確認されています。
『〈叱る依存〉がとまらない』より
叱ることはなんとなく悪いことだとわかっていながら、どう悪いのかを具体的に説明できる人は実はあまりいないのかもしれません。
逆に、叱ることで行動が修正されたりいうことを聞くようになったというメリットの方が大きいからこそ、叱るのがやめられないのだと考えました。
上の引用のように、具体的に叱ることに対するデメリットがわかると叱ることに対するストッパーになるのではないかと思いました。
ただ叱ることのメリットた確かにあると著者はいいます。具体的には、危機介入と抑止力の2つだそうです。確かに、危ないことをしている時には大声でも止めるべきだし、それが抑止力につながることもわかります。
ただ著者が言うように、叱ることの効果は非常に限定的です。特に教育の場では、あまり効果がないと考えます。ただ、本書にあるように依存性はかなり高いと思います。自分は絶対にそんなことはないと思っているけれども、環境が変わることで無意識に叱ってしまうこともあり得る話です。
ここで皆さんが気になるところは、どのようなメカニズムで叱る依存に陥ってしまうかということだと思います。その部分について以下に引用します。
「叱る」に限らず、「自分の行為には影響力がある」「自分が行動することで、何か良いことが起きる」と言った感覚は、人間にとってとても心地よいことで、次の新たな行動のモチベーションになるからです。心理学の言葉で、自己効力感とも呼ばれるこの感情が、叱る人が受け取るごほうびの一つです。
さらに、人を「叱る」に駆り立てる強い報酬があります。それは、処罰感情の充足です。(中略)つまり「叱る」には、処罰感情の充足というごほうびが常について回るのです。このことは「叱る」ととうまくつきあっていくために、絶対に知っておかなくてはいけない知識です。
『〈叱る依存〉がとまらない』より
大事な部分だったので引用が長くなってしまいましたが、ポイントは「自己効力感」と「処罰感情の充足」です。結局は、叱る側のメリットのために叱っているという可能性を常に意識していかないと、叱る依存に陥ってしまうと考えます。
このことを意識することで、少しは自分を俯瞰視することができるのではないかと思います。
また、著者は学校教育にも叱る依存があると述べています。学校現場で働いている身からすると、頷きすぎて首がもげそうな勢いです。自分への戒めとして該当部分を以下に引用します。
教師は学校という場所における圧倒的権力者なので、学校には「他者を思い通りにコントロールする快感」に依存してしまいやすい構造があります。コントロールすることに依存しはじめると、子どもたちをより思い通りに支配するために、「あるべき姿」や「禁止事項」「罰則」をこと細かに定めたくなるのです。さらには、一度そういった支配を始めると歯止めが利かなくなることが多く、ルールはどんどん複雑で詳細になり、効果や意義のない規則のための規則になってしまうのです。
『〈叱る依存〉がとまらない』より
子どもを管理しようとするとどんどんルールが増え、それが世間で言う謎の校則に繋がっていくと考えます。筆箱の種類まで決められてしまうのは、人権侵害だと思うのです。
ルールを決めるのであれば、最低でも子どもと一緒に考えることが大切なのではないかと考えています。
最後に、〈叱る依存〉に陥らないために著者は様々な角度から話をすすめていますが、私が特に大切だと思ったものは叱る前になんとかする「前さばき」という考えです。
「前さばき」は著者の言葉なので、該当する部分を以下に引用します。
「叱る」という行為は、何か問題となる行動が起こる前ではなく、起こった後にする行為です。このように、事の前後を区別して考えることはとても大切で、私はこの違いを「前さばき」と「後さばき」という言葉で表現しています。
『〈叱る依存〉がとまらない』より
確かに、この「前さばき」がいかにできるかで叱る頻度が変わるなと思いました。例えば、子どもが喧嘩して手を出そうとしている時には叱ったりすることが多くなります。
しかし、喧嘩する前に子どもの行動に不自然な様子はなかったか、子どもの細かい感情の起伏を見逃していなかったか。そう言った事前に予測する力というものが教育現場では非常に大事であると考えます。
ここからが本題です笑
「予測力」「未学習と誤学習」「自己決定」「メタ認知」の4つのポイントについて私の経験と共に書いていきます。
学校現場では、経験とともにある程度は「予測力」を身に付けることができます。
しかし、「自分が子どもの行動を見逃してしまった」と自己を省察する「メタ認知」のスタンスでいるか、「叱る回数が多くなるのはあの子のせいだから仕方ない」というスタンスでいるかによって予測力の成長は大幅に変わってしまいます。
何か子どもの様子がいつもと違っていたら、「どうしたの❓」と聞いてみるだけで子どもを叱る回数が減ります。これは私の経験なのでなんとも言えないですが、「どうしたの❓」はマジックワードだと思っています。
また、「未学習と誤学習」の見極めも叱らないためには大切なことです。簡単にいうと、できないのかやらないのかということの判断力です。
根性論タイプの人は、割とできないのは気合いが足りないからできない、となりがちです。例えば、授業でノートに書きたくない、友達と遊びたくないなどという子がいます。その子は、ただやりたくないのではなく、できないという可能性があることを考える必要があります。
できないことを強制されることほど嫌なことはありません。先生が、ノートの取り方や友達との関わり方を支援することで、やり方がわかりできるようになることは思いのほかたくさんあるのではないかと思います。
ですが、ただ「〇〇しなさい!」というだけでは結局叱ってしまうので、大切なことは子どもに「自己決定」をさせることです。
言わさせてやるのと、自分の意志で決定してやるのでは明らかにやる気に関わってきます。このことを先生側がどれだけ大事に思っているかで、叱る頻度も減るのではないかと思っています。
以上、叱らないためには「予測力」「未学習と誤学習」「自己決定」「メタ認知」の4つを意識して相手と関わっていくことが大切でないかと考えました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。