『学問としての教育学』とフッサールについて

本日は、非常に素敵な教育書を紹介します。『学問としての教育学』という苫野一徳さんの本です。苫野さんは教育哲学の本を書かれていて、私の教育実践に大きな影響を与えています。

苫野さんは、教育学と言った学問が他の学問に比べて再現可能性が低いことを述べています。確かに、学校現場でいうと、去年のクラスではうまくいった実践でも、今年はうまくいかずに学級崩壊をおこすといったことがあると思います。

確かに、そうです。著者の苫野さんは、そんな中で普遍的に通用する教育「哲学」・「実証」・「実践」という3つの段階の理論を構築することで、教育学が一端の学問になるのではないかと述べています。あくまで私の解釈ですが。

その3つの段階の最も大切な「哲学」の部分について書いていきます。参考になれば幸いです。

メタ理論Ⅰ 哲学部門

この部門では、タイトルにもあるようにフッサールという哲学者の考えがメインになっております。

フッサールは現象学という哲学で有名な方なのですが、結構難しい考え方なので、これとはまた別にフッサールの本を読んでみたいと思いました。本書で取り入れられている考え方は、「超越論的主観性」という言葉です。

なんとなく響きがかっこいいですが、なんのこっちゃですよね。該当部分に関して、以下に引用します。

目の前のマグカップは、確かに絶対に存在しているかどうか疑うことができる。しかし同時に、わたしは、いま確かにこのマグカップが「見えてしまっている」ことを疑うことはできない。そしてこの「見えてしまっている」ことを根拠に、わたしはマグカップの存在を「確信」しているのだ。(中略)要するに、わたしたちは、マグカップのような客観的対象や、「よい教育」のような価値的対象の絶対的実在性を疑うことはできたとしても、それが何らかの仕方でわたしに確信されているというその意識作用については、どう頑張っても疑うことができないのである。この意識作用をフッサールは「超越論的主観性」と呼ぶのである。

『学問としての教育学』より

引用文を読んでも何のこっちゃかもしれません笑

以前、哲学の本を読んだときに、絶対主義と相対主義があり、今は相対主義に落ち着いているとブログに書きました。よろしければお読みください。

『正義の教室』から様々な正義を考える

ジャック・デリダやミシェル・フーコーなどの哲学者に対して、相対主義を乗り越える哲学をフッサールの現象学をもとに考えていこうというのが筆者の立場だと考えています。

個人的には、この哲学部門が一番大切なのではないかと考えています。これがないとどんなに良い理論や方法であっても道を踏み外してしまうのではないかと思います。

上の哲学理論をできるだけ簡単にまとめた部分があるのでそこを以下に引用します。

絶対客観的に「よい教育」などはない。しかしわたしたちは、だからと言って相対主義に陥る必要もない。なぜならわたしたちには、「これはよい教育だ」という「確信・信憑」が確かに訪れうるからだ。それはいったいどのように❓言うまでもなく、「欲望ー関心相関的」に、である。とすればわたしたちは、この「欲望ー関心相関的」に「よい教育」と確信されたその「確信・信憑」を互いに問い合い、それが共通了解可能であるかを吟味し合うほかに、「よい教育」を問う方法を持たない。「これがわたしの確信・信憑です。あなたはどうですか❓」。

『学問としての教育学』より

これと、同じくらい大切なのが自由の相互承認という概念です。これは以前ブログに書いたので割愛させていただきます。もしよろしければお読みください。

『勉強するのは何のため?』から学校の意義を考える

上記の、みんなが「よい教育」だと感じる「欲望ー関心相関的」こそ自由の相互承認であるというのが著者の考えです。

個人的にはこの理論には賛成です。なぜなら、お互いに自由を保障することで、安心して生きていけると考えるからです。特に教育現場でこの自由の相互承認は何よりも大切なことだと思っております。

学校で何よりも大切なのは、安心して登校することです。また、授業中にみんなやりたい放題やったり、いじめ放題だったりする場所には我が子を通わせようとはなりません。

自由にやることが大切なのではなく、相手の自由を侵害しない範囲で自由にやるということはとても大切なことだなと本書を読んで改めて感じた次第です。

本当は、三段階まで書く予定でしたが、この第一段階が非常に大事だと思ったのでここまでにしておきます。その先の実践段階まで気になる方はぜひ本書をお読みください。

以上が、『学問としての教育学』とフッサールについてになります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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